(夜のセイフク[その57]の続き)
志願兵となったミージュ君と異なり、ビエール君は(エヴァンジェリスト君作の『されど血が』という脚本、のようなものの中のビエール君である)、戦争なるものを忌み嫌っていた。
「(ああ、ボクは、うん、戦争は嫌いだ)」
ビエール・トンミー君は、『されど血が』が虚構の物語であることは当然、承知していたが、自分と同じ名前の男が主人公であり、同級生と同じ名前の男も登場するのだ。
「(あの温厚というか、何も考えていないようにしか見えなかったミージュ君が、まさか志願兵になるとは…..)」
その時、ビエール・トンミー君が、もしエヴァンジェリスト君のようにプロレス好きであったなら、『されど血が』を読む自身の状況を、虚と実が入り混じったプロレス的なものと捉えたかもしれなかった。
しかし、その時も、そしてそれから40年以上も経ち、老人となった時でも、ビエール・トンミー君は、スポーツに関心を持たなかった。
プロ野球にも高校野球にも、興味はなかった。サッカーなんて、ましてや興味はなかった。
サッカーは、5年前(1965年)に日本リーグができ、設立後、4年連続で地元広島の『東洋工業』(現在の『マツダ』)が優勝したこともあり、広島では一部の少年たちが興味を持ち始めていたが、点が少ししか入らないのに、しかも手を使ってはいけないルールって何なんだ、と野球以上に興味はなかった。
八百長と蔑む人もいるプロレスについても、力道山というレスラーがおり、そして殺されたことは知っていたが、それが八百長であろうとなかろうと、どうでもいい存在であった。
しかし、『されど血が』は、ビエール・トンミー君を嫌が応もなく、虚と実の入り混じった世界に追い込んでいった。
『赤紙』が来たのである。
ビエール君に(エヴァンジェリスト君作の『されど血が』という脚本、のようなものの中のビエール君である)、『赤紙』が届いたのである。
「えっ!」
声を出したことにも気付かない程に、ビエール・トンミー君は、『されど血が』の世界に入り込んでいた。
1970年の広島県立広島皆実高校1年7ホームの教室である(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)。昼休みであった。
「どしたん?何かあったん」
隣席の女子生徒が、また反応して来た。
(続く)
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