(夜のセイフク[その62]の続き)
「ビエさん、どうして?.....どうしてなの?」
それは、ヒロコの訴えであった。
冊子『東大』に掲載された『されど血が』という脚本、のようなものの中の登場人物であるビエール君の恋人ヒロコは、赤紙が来たビエール君に問う。
「どうして、あんたが行かんと行けんのん!」
「陛下の為じゃないのか….」
「何ねえ!ヘイカって何ねえ!」
「しっ!」
「ヘイカって何が偉いん!?」
「しっ!ダメだって、そんなことを….」
「かまわんよ!」
「いや……陛下は陛下だから偉いんじゃあないのか?」
「あんた、本気で云っとるん、そうようなこと」
「声が大きいよ。誰かに聞こえたら…..」
「本当のことを云って何がいけんのん!」
「国だ。そう、国の為だ」
「もう!あんたって云う人は!国って何なん!?」
「え?.....国は…….国とは…….」
額の汗を拭った。
「(いいのか?こんな内容の劇をしていいのか?)」
戦後25年は経っているというものの、ビエール・トンミー君は、ヒロコの吐く言葉の過激さを懸念した。
「大丈夫さ、君なら」
いつの間にか、エヴァンジェリスト君が、席の横に立っていた。
1970年の広島県立広島皆実高校1年7ホームの教室である(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)。昼休みであった。
「いや…..あの…..ヒロコの…」
「ああ、そうかあ。うん、分ったよ」
「へ?」
「安心して、ボクに任せて」
と、屈託のない言葉を残して去ったエヴァンジェリスト君は、過激な内容の『されど血が』という脚本、のようなものを書いた男とは思えなかった。
(続く)
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