(夜のセイフク[その67]の続き)
「『周作』にしようかと思ったんだ」
エヴァンジェリスト君は、自らが書いた『されど血が』という脚本、のようなものの主人公の名前も変えようとした、というのだ。
「え?」
これには、ビエール・トンミー君も声を出して反応した。
「『すず』さんの夫の名前は、『周作』だったらしいんだ」
エヴァンジェリスト君は、自らが書いた『されど血が』という脚本、のようなものの主人公の恋人の名前を『ヒロコ』から『すず』に変えたのだ。
「だから、『ビエール』も『周作』に変えた方がいいかと思ったんだが、『ビエール』は、『ヒロコ』と結婚していた訳ではないし、『周作』って云うと、どうしても『遠藤さん』を思い出すからねえ」
「『遠藤さん』?」
「ああ、遠藤周作さ」
「誰なん?エンドーシュウーサクいうて?」
『すず』ちゃんになるソフトテニス部の部員の女子生徒が、素朴な質問をした。
1970年の広島県立広島皆実高校1年7ホームの教室である(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)。放課後であった。
遠藤周作は、芥川賞 作家であり、その年(1970年)の4年前(1966年)に、彼の代表作である『沈黙』を上梓していたが、まだ一般には無名な作家であった。
遠藤周作が、『違いがわかる男』、『狐狸庵先生』として、世の誰もが知る存在となるのは、それからまだ3年を要した。
「だけどね、イメージが違うんだよね。ビエール君とはね」
「(?)」
ビエール・トンミー君は、エヴァンジェリスト君が云う『ビエール君』は、『されど血が』という脚本、のようなものの主人公のことなのか、はたまた自分のことなのか、はかりかねた。
「遠藤周作は、素晴らしい小説家だけど、ビエール君のようなハンサムではないんだ」
「(ああ、そういうことなのか)」
ビエール・トンミー君は、合点した。
「アタシも、『ビエール』の方がええ思うよ。『周作』より」
『すず』ちゃんになるソフトテニス部の部員の女子生徒が、口を挟んできた。
「ビエ君、これからアタシのこと、『すずちゃん』って呼んでね。劇の時以外でもね。ふふ」
「(うっ…)」
兎にも角にも、かくして『されど血が』という脚本、のようなものをベースとする放送劇の練習は始った。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿