「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、友人のビエール・トンミー氏は、お互いに社会人になり、殆ど会うことがなくなっていた時期に、テニス、スキーだけではなく、ゴルフまでするようになる程、セレブ街道『まっしぐら』となったものの、やがてテニスもスキーもゴルフも引退してしまったのは、セレブ面することを嫌う『真っ直ぐな』男であったからもしれない、と、友人のことを思うようになることを、まだ知らなかった。
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「(『カレーを食べるスター』なんて感じで、『明星』か『平凡』に載るかもしれん)」
1982年の冬、若きエヴァンジェリスト氏は、会社の同期の皆でスキーをしに来た草津のスキー場のロッヂのレストランでカレーを食べながら、妄想にふけっていた。
初心者のエヴァンジェリスト氏にスキーの基本を教えたン・ゾーシ氏に、
「いいね、いいね。エヴァさん、上手いよ」
と、おだてにられ、いい気になってしまったのだ。
「(んん?....いいか、そうか、上手いのか!)」
「(どっちに見える?若大将か?裕次郎か?)」
「(映画関係者がいたらどうしよう?)」
「(入社したばかりだからなあ)」」
「(東宝がいいのか?石原プロがいいのか?)」
スターがカレーを食べ終えた頃、同期の誰かが皆に云った。
「じゃあ、午後は、ウエから降りてこようか!」
『ウエから降りてくる』為、皆もエヴァンジェリスト氏もロッヂを出た。
『ウエから降りてくる』……その意味を、その時、妄想スターのエヴァンジェリスト氏は、理解していなかった。
「(まあ、そりゃそうだろうな。スキーは、『ウエから降りてくる』ものだ。『シタから降りてくる』ことはないし、『ウエから上ってくる』こともあるまい。『シタから上ってくる』こともできはしないであろう)」
と、自身の論理性に満足していた。
「(東宝がいいのか?石原プロがいいのか?)」
加山雄三とも石原裕次郎とも学校的に縁があった。
「(しかし、石原プロに入ってあげないといけないかもな…..うーむ)」
傲慢とはこのことを云うのだ。
「(裕次郎さんは、具合が悪かったみたいだものなあ)」
1981年、石原裕次郎は、解離性大動脈瘤で手術を受けている。
「(石原プロには次のスターが必要であろう)」
この時、エヴァンジェリスト氏には、『石原プロ救済』という、傲岸不遜な使命感が芽生えたのだ。
(続く)
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