2018年6月18日月曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その123]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、後日、仕事でフランソワーズ・モレシャンさんにお会いした時も(当時住んでいらした六本木のご自宅を訪問したのだ)、テレビで見る通り、ただ癖のある日本語を喋る変なフランス人と思ってしまったことを(『曲がった』理解をしてしまったことを)恥じるようになることをまだ知らなかった。


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「じゃ、リフトに乗ろう!」

エヴァンジェリスト氏に、スキーの基本を教えてくれることとなった同期オン・ゾーシ氏が、云った。

「(おおお!リフトか!知ってるぞ、リフト。椅子みたいなのに座って、ロープウエイみたいに上まで運んでくれるやつだな)」

1982年の冬、エヴァンジェリスト氏は、1982年の冬、会社の同期の皆で草津にスキーをしに来たのであった。

スキーは、金持ちのするスポーツであった。スキーのリフトは、、テレビで放送していた映画『アルプスの若大将』で見たことがあるくらいで、まさか自分が乗ることになるとは夢にも思っていなかった。

金持ちの世界に一歩氏を踏み入れたエヴァンジェリスト氏の高揚感は、いや増した。しかし…….

「いいのか、ボクが…..」

リフトで緩やかな雪の坂を登りながら、エヴァンジェリスト氏は、どうしてもそう思ってしまう。

「(いいのか、貧乏人の小倅のボクが…..)」

チチ・エヴァンジェリストは、東洋工業(1984年に社名を『マツダ』に変えるが)という大会社に勤務していたが、生涯、一設計技師で、所謂、出世とは縁遠い人であった。

「(年に1回のキリンビアホールが楽しみであった)」

エヴァンジェリスト氏が、小学生の頃、エヴァンジェリスト家では、年に1回、本通りの端にあるキリンビアホールに、家族で食事に出かけた。

キリンビアホールは、年に1回の贅沢であったのだ。

後に(還暦を過ぎて)、唯1人と言っていい友人(ビエール・トンミー氏だ)と四半期毎に、キリンビアホールではないが、その系列と云っていいであろうキリンシティでビールを飲むようになるのだ。それが、老人となったエヴァンジェリスト氏の数少ない楽しみだ。何かの因縁であろうか?






草津のスキー場の初心者コースのリフトは、ゆっくり登って行く。

「(ダッコちゃんは買ってもらえた)」


眼下の真っ白な世界に、エヴァンジェリスト氏は、過去の光景を見ていた。

「(フラフープも買ってもらえた)」

流行りのおもちゃは買ってもらえたが、それは高価なものではなかった。

「(レーシング・カーは、羨ましかった….)」

小学生の同級生の子の家に、誕生日会のお呼ばれで行った。

食事を終えると、子供部屋に行く。誕生日の友だちは、部屋の隅に置いてあった箱を部屋の中央に置く。

箱の中から取り出されたのは、コースであった。レーシング・コースだ。コースの真ん中に筋があり、そこにレーシング・カーを置く。

「(なんだ、これは!)」

リモコンでレーシング・カーを操縦し、レースをする。

「(こんな面白いものがあるのか!)」

エヴァンジェリスト氏は、興奮した。

「これ、お父さんに買ってもらったんだ」

誕生日の友だちは、自慢げに云った。

「(でも、これ高いんんだろうなあ)」

子ども心にそう思った。

「ウチのお父さん、給料ええんで」

誕生日の友だちは、小学生のエヴァンジェリスト氏の心を読んだかのように、いきなりそんなことを口にした。

誕生日の友だちは、更に、具体的な自分の父親の給料額を告げた。

エヴァンジェリスト君は、その日、帰宅して、父親に訊いた。

「おとーちゃん、給料なんぼなん?XXX君のお父さんは、XX万円なんじゃと」

『ストレート』な質問であった。

しかし、チチ・エヴァンジェリストの回答を聞き、エヴァンジェリスト君は、

「ふううん」

としか云えなかった。

まだ小学生のエヴァンジェリスト氏は、余りに『ストレート』な(ピュアと云えばピュアではあるが)質問は、相手を傷つけるかもしれない、ということを、その時、初めて知ったのであったかもしれない。


(続く)


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