「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、官僚が為政者の為に国会で嘘をつくという『曲がったこと』をする場合、その官僚に妻(或いは、夫)がいるとしたら、妻(或いは、夫)は夫(或いは、妻)のことをどう思うだろうか、と思うようになることをまだ知らなかった。
-------------------------------
1982年の冬、会社の同期の皆でスキーに行くことなり、エヴァンジェリスト氏が、同期の1人であるオン・ゾーシ氏の運転するセダンに乗って、スキー場に向った。
セダンの前方席には、運転するオン・ゾーシ氏とその恋人のニキ・ウエ子さんがいた。
2人は付合っていたが、会社の連中には内緒にしていた。しかし、バスでスキー場に向かう皆とは別に、2人はクルマで行きたかった。そこで、カモフラージュの為に、調子者だが意外に口が固く信頼の置けるエヴァンジェリスト氏に同乗を依頼したのである。
出汁に使われたエヴァンジェリスト氏ではあるが、氏にとっても、バスで行くよりはセダンで行く方が楽でよかった。
しかし、オン・ゾーシ氏の運転するセダンは、軽井沢の凍結した坂道をスリップし、登りきれず、予定外のルートを行くこととなった。
そして、別ルートの道も、凍結しており、ちょっとだがスリップした。
「回り道だし、凍結しているから時間かかっちゃってごめんね、エヴァさん」
と謝るオンゾーシ氏の口の端に、ニキ・ウエ子さんの唇の色と同じピンクを見たエヴァンジェリスト氏の股間は、ピンと『硬直』した。
「(いつかボクも…….!)」
睡魔に勝てないエヴァンジェリスト氏は、また直ぐに体を後方席に横たえたが、股間だけは起き続けていた。
そして、…………….
「着いたよ、エヴァさん。だいぶ遅れちゃって、ごめんね」
セダンは到着したのだ。そこは、草津であった。午前10時は過ぎていた。
「ボクが、最初教えるからね」
オンゾーシ氏は、スキーのベテランであった。
「(君は、恋愛もベテランのようだね)」
ホテルにチェックインし、エヴァンジェリスト氏は、スキーウエアに着替えた。
「いいのか、ボクが…..」
部屋の鏡に、スキーウエアを着た自らの姿を見て、呟いた。
「(スキーなんて、金持ちのするスポーツだ)」
テニス同様、スキーも、決して裕福とは云えない家庭に育ったエヴァンジェリスト氏にとっては、高嶺の花のスポーツであった。
「いいのか、ボクが…..」
ラケットを持たずテニス部に入ったように(そのせいなのか、『いくわよお~!』なんてことをしたせいか、部費は払っていたのに、テニス部の部員名簿に、エヴァンジェリスト氏の名前が載せられることはなかった)、スキーウエアもスキー板もないまま(買うこともせず)、エヴァンジェリスト氏は、草津まで来たのだ。
「(でも、結構、イケてるか……)」
鏡に中の姿に見とれ、微笑んだ。スキーウエアは、オンゾーシ氏が貸してくれたものであった。オンゾーシ氏のお古ではあったが、高価なものであった。
「ま、いいか、たまには…….」
貧乏人は、金持ちを嫌悪する。その嫌悪すべき対象の側に自分が立っていることに罪悪感があったが、一生踏み入れることはないと思っていた世界に自らの身を置こうとしている。
若きエヴァンジェリスト氏の細胞には、一種の高揚感のようなものが泡立っていたのであった。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿