「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、フランソワーズ・モレシャンさんが、昭和30年代の日本人と現代の日本人とを比較し、的確な評をされるのを聞き、ただ癖のある日本語を喋る変なフランス人と思っていたことを(『曲がった』理解をしていたことを)恥じるようになることをまだ知らなかった。
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「(ボクは、貧乏人のままでいい…..)」
1982年の冬、エヴァンジェリスト氏は、1982年の冬、会社の同期の皆で草津にスキーをしに来た。
しかし、生まれて初めてスキー靴に脚を入れ込んだ時、エヴァンジェリスト氏に衝撃が走った。
「(な、なんなんだ、これは!)」
脚が曲がらない。いや、曲がらなくはないのだが、脚が思うように動かせない。
「(こりゃ、ギブスではないか!嘘だろ!....こんなん履いて、滑るのか!?)」
ストックを持ち、それを杖として何とか立ち上がり、草津の町をロボットのように、いや、『恐怖のミイラ』のように、右肩と右足を一緒に出し、次に、左肩と左足を一緒に出して歩いた。
スキーという金持ちのするスポーツに初めて望むことで高揚していた気持ちが、萎えた。
「(ボクは、貧乏人のままでいい…..)」
そう弱音を吐きそうであったが、『恐怖なオイラ』は、何とかスキー場に辿り着いた。
先に草津に着いていた同期の中の初心者たちは、午前中、スキー教室で手解きを受けたようだが、もうスキー教室は終っていた為、エヴァンジェリスト氏と一緒に(そして、自分の恋人のニキ・ウエコさんと一緒に)クルマで来た金持ちの同期オン・ゾーシ氏が、エヴァンジェリスト氏に、スキーの基本を教えてくれることとなった。
「じゃ、リフトに乗ろう!」
「(おおお!リフトか!知ってるぞ、リフト。椅子みたいなのに座って、ロープウエイみたいに上まで運んでくれるやつだな)」
金持ちの世界に一歩氏を踏み入れたエヴァンジェリスト氏の高揚感は、再び増した。しかし…….
「いいのか、ボクが…..」
リフトで緩やかな雪の坂を登りながら、エヴァンジェリスト氏は、どうしてもそう思ってしまう。
「(スキーのリフトなんて、テレビで放送していた映画『アルプスの若大将』で見たことがあるくらいで、まさか自分が乗ることになとは!)」
OK牧場大学卒業なので(正確には、OK牧場大学大学院も修了しているが)、若大将とも縁がなくはない。
しかし、エヴァンジェリスト家は、決して裕福な家庭ではなかった。
「(いいのか、貧乏人の小倅のボクが…..)」
チチ・エヴァンジェリストは、東洋工業(1984年に社名を『マツダ』に変えるが)という大会社に勤務していたが、生涯、一設計技師で、所謂、出世とは縁遠い人であった。
従って、高給取りではなかったはずだ。しかも、息子が3人いて、その3人ともに県外(広島県外)の大学に行かせたのだ。内、1人は、修道中学・高校と私立の学校に行かせている。金がかかったはずだ。
「(年に1回のキリンビアホールが楽しみであった)」
エヴァンジェリスト氏が、小学生の頃、エヴァンジェリスト家では、年に1回、本通りの端にあるキリンビアホールに、家族で食事に出かけたのだ。
キリンビアホールは、年に1回の贅沢であったのだ。
「(何を食べたのであったか…..?)」
眼下の真っ白な世界に、過去の光景が見えていた。
キリンビアホールのテーブルを、一家5人が仲良く囲んでいた。
何を食べたのか記憶はなかったが、店内には、黄色っぽい暖かい光が注ぎ、デミタスソースか何か分らぬが、食欲をそそる匂いに包まれていた。
チチ・エヴァンジェリストは、ビールを飲んでいたような気がする(ビアホールなんだから、当然であろう)。
後に(還暦を過ぎて)、唯1人と言っていい友人(ビエール・トンミー氏だ)と四半期毎に、キリンビアホールではないが、その系列と云っていいであろうキリンシティでビールを飲むようになるのだ。それが、老人となったエヴァンジェリスト氏の数少ない楽しみだ。何かの因縁であろうか?
(続く)
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