「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、フランソワーズ・モレシャンさんの両親が、第2時世界大戦中、ドイツ占領下フランスでユダヤ人の子供たちをかくまっていたことを知った時、『曲がったことが嫌いな』ご両親であったのだなあ、と思うようになることをまだ知らなかった。
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1982年の冬、会社の同期の皆で草津にスキーをしに行くことなった。
しかし、バスでスキー場に向かう皆とは別に、同期の1人であるオン・ゾーシ氏の運転するセダンに乗って(オンゾーシ氏の恋人のニキ・ウエコさんも一緒だ)、スキー場に向ったエヴァンジェリスト氏は、途中、凍結した坂や道のせいで、到着が大幅に遅れた。
午前10時過ぎ、エヴァンジェリスト氏は、ホテルにチェックインし、オンゾーシ氏に借りた高価なスキーウエアに着替えた。
「いいのか、ボクが…..」
テニス同様、スキーも、決して裕福とは云えない家庭に育ったエヴァンジェリスト氏にとっては、高嶺の花のスポーツであった。しかし、
「ま、いいか、たまには…….」
貧乏人は、金持ちを嫌悪する。その嫌悪すべき対象の側に自分が立っていることに罪悪感があったが、一生踏み入れることはないと思っていた世界に自らの身を置こうとしていることに、若きエヴァンジェリスト氏の細胞には、一種の高揚感のようなものが泡立っていた。
そして、レンタル・スキー・ショップで、オンゾーシ氏に選んでもらったスキー板とストック、そして、スキー靴を借り、スキー靴に脚を入れ込んだ。
「(な、なんなんだ、これは!)」
脚が曲がらない。いや、曲がらなくはないのだが、脚が思うように動かせない。
「(こりゃ、ギブスではないか!嘘だろ!....こんなん履いて、滑るのか!?)」
いや、滑る以前に、歩くことさえままならない。しかし、金持ちの世界に足を踏み入れるには、この『ギブス』を克服しないといけないのだろう。
「じゃ、行こうか」
オンゾーシ氏に促され、エヴァンジェリスト氏は、スキー場へと向い始めた。
「(うーむ、みっともない)」
エヴァンジェリスト氏は、『己を見る』男であった。
「(これは、ロボットだな)」
草津の町を歩きながら、ロボットのように、右肩と右足を一緒に出し、次に、左肩と左足を一緒に出して歩く自身の姿をどこからか俯瞰している自分がいた。
「(いや、ロボットというよりも、『恐怖のミイラ』だろうか)」
テレビ・ドラマの『恐怖のミイラ』を見る時、小学生のエヴァンジェリスト氏は、頭から布団を被り、布団の隙間からテレビを見た。
それ程、『恐怖のミイラ』は怖かった。しかし、今、エヴァンジェリスト氏は、『恐怖のミイラ』のようにしか歩けない自分の姿が、情けなく、怖かった。『恐怖なオイラ』であった。
「(重い……果して、スキー場に辿り着けるのか?)」
途方に暮れながら歩いて行く。
「(金持ちも、楽ではないのだなあ)」
しかし、本物の金持ちであるオンゾーシ氏は、スイスイと歩いて行く。
「エヴァさん、大丈夫?」
オンゾーシ氏が声を掛ける。
(続く)
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