「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、友人のビエール・トンミー氏は、59歳で仕事から完全リタイアした後、毎朝欠かさず、テレビ朝日の羽鳥慎一のモーニングショーを録画して見るという『真っ直ぐな』姿勢を崩さないようになることを、まだ知らなかった。
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『ウエから降りてくる』為、皆もエヴァンジェリスト氏もロッヂを出た。
1982年の冬、若きエヴァンジェリスト氏は、会社の同期の皆でスキーをする為、草津のスキー場に来ていたのであった。
ロッヂのレストランで昼食にカレーを食べながら、エヴァンジェリスト氏は、妄想にふけった。
「(どっちに見える?若大将か?裕次郎か?)」」
「(東宝がいいのか?石原プロがいいのか?)」
午前中、同期のオン・ゾーシ氏にスキーの手解きを受け、
「いいね、いいね。エヴァさん、上手いよ」
と、おだてにられ、いい気になってしまったのだ。
スターがカレーを食べ終えた頃、同期の誰かが皆に云った。
「じゃあ、午後は、ウエから降りてこようか!」
『ウエから降りてくる』……その意味を、その時、妄想スターのエヴァンジェリスト氏は、理解していなかった。
「(しかし、石原プロに入ってあげないといけないかもな…..うーむ。裕次郎さんは、具合が悪かったみたいだものなあ)」
1981年、石原裕次郎は、解離性大動脈瘤で手術を受けている。
「(石原プロには次のスターが必要であろう)」
この時、エヴァンジェリスト氏には、『石原プロ救済』という、傲岸不遜な使命感が芽生えたのだ。
「(知性と美貌はもとよりある。自分で云うべきものではないが、事実は事実として受け止めることも必要だ)」
知性と美貌については、確かに否定はできない。
「(そこに今日、スキーという特技もものにしたのだ。石原プロの次代のスターに相応しい存在となったのだ)」
妄想スターの前には、草津のスキー場の広大なゲレンデが広がっていた。
「じゃ、リフトで『ウエ』に上がろうか」
エヴァンジェリスト氏が午前中に乗った初心者用コースのリフトは、ゲレンデに向って右手にあったが、左手にもリフトがあった。もっと『ウエ』まで上る為のリフトだ。
「(皆、驚くだろうな。ボクがこんなにスキーが上手いなんて。ハハハハハハ)」
リフトに乗る列に並んだ。
「(入社したばかりの会社には申し訳ないが、早ければ今年度一杯で退社させてもらうことになるかもしれん)」
列の前後には、同期が並んでいた。
「(君たちともこれが最後の付合いになるのだろうなあ)」
という感慨はあったものの、エヴァンジェリスト氏の心は、『スター』という未来の栄光に奪われているようであった。
「(だが、君たちは、あの銀幕のスター『エヴァンジェリスト』って、同じ会社の同期だった奴なんだぜ、と云えるのだ。ハハハハハハ)」
その時、エヴァンジェリスト氏の前に並んでいた同期の女性が振り向いて、云った…..
「ところで、エヴァさん…..」
(続く)
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