(夜のセイフク[その26]の続き)
「(アメリカ館に展示されていたのが、『石』ではなく、『うさぎ』だったら、2-3時間まちでも、4-5時間待ちでも見ることができなかっただろう)」
その年(1970年)に開催された大阪万国博覧会のアメリカ館に実際に展示されたのは、『月のうさぎ』ではなく、『月の石』であったし、その『月の石』を実際に自らの眼で見たのに、ビエール・トンミー君は、妄想の世界に足を踏み入れようとしていた。
「(アメリカ館に展示されていたのが、『石』ではなく、『うさぎ』だったら、ボクは本当に感動しただろう。そうだ、展示されていたのは、『うさぎ』であって欲しかった)」
1970年の広島県立広島皆実高校1年7ホームの教室である(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)。昼休みであった。
「ビエ君、万博いったん?」
少し前に、『万博…』というビエール・トンミー君の呟きに反応した斜め前方席の女子生徒が、訊いてきた。
「んふ?....ああ、万博ね」
妄想の世界に入ろうとしていたビエール・トンミー君は、現実の世界に戻された。
「『月の石』見たん?」
「ああ、見たよ」
「どうじゃった?」
「随分、待たされた」
「すごかったん?」
「ああ、すごかった」
ビエール・トンミー君は、赤面した。
「ほうねえ。やっぱりすごいんじゃねえ」
ビエール・トンミー君は、嘘をついた自分が恥ずかしく赤面した。
「アタシも見たかったんよ」
赤面した顔を隠すように、俯き、机の上の冊子『何会』の表紙を見た。
「(あれは、『石』だ。ただの石に過ぎない。あれが、『うさぎ』だったら、ボクは本当に感動しただろう)」
とは思ったが、それを口にすることはできなかった。
「何なん、これえ?」
ビエール・トンミー君の机の上に、女子生徒の手が伸びて来た。
(続く)
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