2018年8月12日日曜日

夜のセイフク[その34]






「(ああ見えて、エヴァ君の心には闇があるのかもしれない….)」

ビエール・トンミー君は、教室の入り口近くで、『コブラ・ツイスト』なるプロレス技をミージュ・クージ君にかけているエヴァンジェリスト君を見遣って思った。

1970年の広島県立広島皆実高校1年7ホームの教室である(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)。昼休みであった。

「今度は、『グレープバイン・ホールド』だあ!





ビエール・トンミー君の思いをよそに、エヴァンジェリスト君は、屈託なく、ミージュ・クージ君に技をかけ直していた。

「(『月にうさぎがいた』の次は、『火星にたこがいた』かと思っていた)」

しかし、自身の机の上に置かれた冊子『何会』第2号の巻頭の読み物は、『火星にたこがいた』ではなかった。

「(『土埃が舞い込むその時、知っていた….』ってなんだ…..)」

『詩』であった。うーむ、『詩』のようなものであった。

「ギブアップ?」

と、ミージュ・クージ君を攻めまくるエヴァンジェリスト君と、『土埃が舞い込むその時、知っていた….』という『詩』のようなものを書いた男とが同一人物とは思えなかった。

「(『10年後も、20年後も、見ているのだ…..』とは、君は何を見ているのだ?)」

エヴァンジェリスト君が書いた『詩』のようなものにあったのは、『虚無』であったのだ。

エヴァンジェリスト君は、自宅の自分の部屋から窓の外を見遣る。窓外の道路からは、土埃が舞い込んでくるらしい(1970年当時、舗装された道路はまだ少なかった)。

エヴァンジェリスト君は、その様子を凝視しているのだ。そして、『絶望』を感じるのだ。いやいや、それは、『絶望』を超えたものであるようなのだ。『虚無』だ。自分と同じ高校1年生であるのに、エヴァンジェリスト君は、ただ窓の外から舞い込んでくる土埃に『虚無』を見ているのだ。

それが、『詩』としていいものであるのかどうかは、ビエール・トンミー君には判断する力がなかった。しかし…….

いつもヘラヘラしているエヴァンジェリスト君の心の中は、実は、どうなっているのか……

「(カレは、カレには、『10年後も、20年後も』何も変わらないのだ)」

『虚無』がある(『無い』ものが『有る』)、というのは、矛盾ではないか、と思った。最初は、そう思った。

「(だが、宇宙には、『ブラック・ホール』というものがあるらしい)」

2-3年前から(『今』は、1970年だ)、『ブラック・ホール』なるものが語られるようになっていた。

「(1年7ホームの連中はまだ誰も知らないだろう、『ブラック・ホール』なるものを)」

ビエール・トンミー君は、ミージュ・クージ君を『グレープバイン・ホールド』なる技で締め上げるエヴァンジェリスト君の心の中に、『ブラック・ホール』を見ていた。


(続く)



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