2022年2月9日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その134]

 


「『マツモト・セイチョウ』って、『黒い霧』の…?」


と、『少年』は、怖々といった様子で、『黒い霧』ということがを口にした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「おお、『黒い霧』を知っていたのか!」


と、『少年』の父親は、我が息子ながら、真に感心したようであった。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』と『少年』を混乱の極みへと追い込んでいったのだ。


「『自民党』が悪いことをしたんでしょ?」

「松本清張が書いた『黒い霧』は、ああ、正確には『日本の黒い霧』という題名なんだが、その多くは、日本が占領されていた時代のことを書いていて、まだ『自民党』ができる前のことなんだけどな。でも、去年、起きた『黒い霧』の事件は、確かに大体、『自民党』関係だな」


と、『少年』の父親が触れた『黒い霧』は、前年である1966年に発覚した『田中彰治事件』、『共和製糖事件』等の事件のことで、それら事件は、『黒い霧』と騒がれ、それら事件により当時の佐藤栄作首相が追い込まれた衆議院解散は、『黒い霧解散』と呼ばれるものであったのだ。


「『日本の黒い霧』は、小説ではないんだが、松本清張は本来、小説家で、『砂の器』という小説も書いているんだ。これは、推理小説でな、『ズーズー弁』が謎解きのポイントになっているんだ」


『砂の器』が、野村芳太郎監督により映画化され、一般にも広くその名が知られるようになるのは、これから(1967年から)7年後のことであり、『少年』は、『砂の器』という言葉、題名をこの時、初めて聞いた。


「まさか犯人が、古代出雲人だったっていうこと??!!」

「いやあ、さすがにそうではないんだ。『砂の器』は、推理小説だけど空想小説ではないからな。殺人の被害者と犯人が、『ズーズー弁』を喋り、『カメダ』という地名を話してていたという情報から、刑事たちは、東北地方の『カメダ』というところを探し、秋田県の『羽後亀田』辺りを調べるんだが、なかなか手掛かりがつかめないんだ」




「ああ、その『ズーズー弁』は、東北のじゃなくって、出雲のだったんだね」

「そうだ。犯人は、子どもの頃、島根県の『亀嵩』(かめだけ)というところにいたことがあり、警察官だった被害者もそこにいたことがあった、というか、乞食というか、不幸な子どもだった犯人の世話をしたことがあった、ということなんだ。で、この事件の捜査をする刑事たちが、たまたま出雲でも『ズーズー弁』が話されることを知り、そのことが事件解決の糸口になるんだ。犯人となるその不幸な子どもは、戦後の混乱の中で偽の戸籍を得て、別人となり、天才音楽家になっていたんだ」

「え?天才音楽家?」


と、何故か、『少年』が、眉間に皺をよせた時、


「ああ、お母さん…Ng…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が発した呟きは、自らの母親のことを云っているのではないようであった。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようであるその声の主、いや、今や元素記号を音にしたようなものを発する主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女を『源氏物語』の『若紫』と見立て、『光源氏』のように、『新手枕』の翌朝に、彼女から恨まれたいというサディスティックでもありマゾヒスティックでもあるような感情を抱いたが、それが単なる感情ではなく、彼の肉体にある『変化』をもたらした結果、元素記号を音にしたようなものを、彼が発したことに気付いたのか、その美少女から睨むような視線向けられ、その視線に耐えきれず、自らの視線を股間に落とし、そこに、『ごめん』と詫びなければけいけない『証拠』を確認したのだったが、何かに、いや、誰かの視線に射抜かれるのを感じた、それが、『証拠』に『証拠』を重ねる働きをしたのであったが、その視線の主を『源氏物語』の『藤壺』と認識したのであり、その『藤壺』に向け、今、呟いたようであった。


(続く)




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