2022年2月17日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その142]

 


「でも、『高麗』をどうして『コマ』と読むのかは」


と、『少年』は、知りたかった言葉の由来について、再度、質問を始めた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


『高麗』(コウライ)というか『高句麗』があった場所を知ることが必要なんでしょ?」


と、『少年』は、派生に派生を重ねる父親の説明に翻弄されることのない聡明さを見せた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻したのである。


「その通りだ。『高句麗』があったのは、中国の満州東部から朝鮮半島の北東部は、『狛』(こま)と呼ばれていたんだそうだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『と書いた。


「どこかで見たことがあるような漢字だけど…」

「東京の『狛江市』の『狛』なんだよ」

「へええ、そんな漢字があるんだ。あ、ひょっとして、その『狛江市』って、『高麗』の人が日本に来て住むようになったところなの?」


多摩川の堤防決壊による『狛江』であった水害をモデルとし、不倫を描いたたテレビ・ドラマ『岸辺のアルバム』が放映されるのは、それから(1967年)10年後(1977年)のことで、『少年』は、この時まで『狛江市』の存在を知らなかった。




「ああ、そういう説もあるようだ。そうではなくて、『駒井』が訛って『狛江』になったとも云われているようなんだが」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『駒井と書いた。


狛江市』の『狛』は、むしろ『狛犬』の『狛』なんだ」

「え?狛犬』?あの神社の入口にあるの?」

「そうだ。お寺にある場合もあるがな」

「お寺にも?」

「本来は、神社にあるものだと思うが、例えば、東大寺南大門にもあるんだ。『神仏習合』、もしくは、『神仏混淆』の影響だろう」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『神仏習合』、『神仏混淆』と書いた。


「ああ、聞いたことがあるような気がする。『神道』と『仏教』を一緒にしたっていうことでしょ?」

「まあ、大体、そんなもんだな。『神道』と『仏教』を融合させ、一体化させたもので、神社の中にお寺があったりしたんだ。でも、明治時代になって、『神仏判然令』という『神仏分離』の令で、『神仏習合』はなくなったんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、神仏判然令と書いた。


「でも、確かに、今でも神社とお寺って、なんか似た感じがあるよね。どっちもお参りする前に手を洗うし」

「ああ、それは『手』に『水』と書いて『ちょうず』というんだが、それは『神仏混淆』によるものではないいんじゃないかとは思うがな」

『狛犬』とは違うんだね。あ…ひょっとして、『狛犬』って、やっぱり『高麗』から来た犬のこと?.....っ、いや、あ!」


と、『少年』が、何かに思い当った様子を見せた時、


「お前、何云いよるんならあ。元素記号みたいにニオイいうて、無茶苦茶云うなや。…..んん?」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の夫の方は、妻が、自らが嗅いだ臭いニオイについて、意味不明としか云いようがないことを云い出したことに怪訝を示したが…



(続く)





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