2022年2月11日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その136]

  


「はっきりは分らないんだが、古代出雲の人たちが東北に移住しかたら出雲でも東北でも『ズーズー弁』を使うという考えもあるようだ。でも…」


と、『少年』の父親が、出雲の『ズーズー弁』の解説を始めた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「『西村眞次』という歴史学や文化人類学、民俗学の博士に依ると、日本語のルーツは、『ツングース語』らしいんだ」


と、『少年』の父親は、『少年』が知るはずもない学者の名前を出してきた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻してきたのだった。


「更に、黒龍江あたりにいた『ツングース』が、大昔、鉄器文化を持って、船で日本に渡り、樺太から北海道、東北と日本を南下して行って、良質な砂鉄が採れる出雲に王朝を作ったともいうことのようだから、『ズーズー弁』は、ひょっとしたら『ツングース語』が元かもしれんな」


と、『少年』の父親が自らの推定を述べたが、後年、司馬遼太郎等が、『少年』の父親と同様の見解を述べるようになるのであった。


「『オロチョンの火祭り』って歌を聞いたことがあるか?」

「え?『オロンチョン』?」

「『伊藤久男』が歌ったんだが」

「え?『いとう・ひさお』?」

「『♫勝ってえ来ーるぞと勇まーしく♫』という歌は知っているだろ?」

「うん」

「『露営の歌』っていうんだ」

「歌の名前は知らなかったけど、軍歌でしょ?」

「『♫あーああの顔でえ、あーのこーええでえ♫』という歌も知っているだろ?『暁に祈る』という歌だ」

「うん、それも聞いたことがある。やっぱり軍歌だよね」

「『♫わーかーいちーしおのヨカレンのお♫』という歌も知っているだろ?」

「ああ、予科練の歌だ!」

「正式には、『若鷲の歌』っていうんだがな。みんな、『伊藤久男』が歌ったんだ」

「ああ、そうなの。そういえば、どの歌も、なんか太くてしっかりしたいい声の人が歌ってたと思う」

「それが、『伊藤久男』だ」

「『いとう・ひさお』っていう人は、右翼だったの?軍歌ばっかり歌って」




「そうじゃないさ。『古関裕而』だって、右翼だったということではないと思うぞ」

「え?『こせき・ゆうじ』?」


と、『少年』が、頭の中に、『こせき・ゆうじ』という人名の漢字を思い描けないでいた時


「ああ、『若紫』も、『藤壺』も…NgNg


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟き続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようであるその声の主、いや、今や元素記号を音にしたようなものを発する主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女を『源氏物語』の『若紫』と見立て、『光源氏』のように、『新手枕』の翌朝に、彼女から恨まれたいというサディスティックでもありマゾヒスティックでもあるような感情を抱いたが、それが単なる感情ではなく、彼の肉体にある『変化』をもたらした結果、元素記号を音にしたようなものを、彼は発し、更に、これも『源氏物語』の『藤壺』と見立てられるようなその美少女の母親からも睨むような視線向けられ、そのことでも、元素記号を音にしたようなものを、彼は発したのだった。


(続く)







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