2022年2月22日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その147]

 


「あれ?『中津瀬神社』を覚えてないか?」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『中津瀬神社と書いた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「新天町の商店街は覚えているだろ?」


と、『少年』の父親は、『少年』に対して、またもや勿体をつけた云い方をした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開していた。しかし、『狛犬』は犬ではなく『獅子』であるとし、『獅子』はラインではない、とはしたのであったが….


新天町の商店街って、宇部の?」

「そうだ。アーケードのある商店街があっただろ。あそこだよ。あそこにある神社が、『中津瀬神社』だ

「ああ、あそこに神社?...そう云えば、神社があったような気もするけど、それが、『中津瀬神社』なの?その神社が、『逆もまた真なり』なの?」

中津瀬神社』の『狛犬』を覚えていないか?」

「じゃあ、その神社の『狛犬』が『逆もまた真なり』??」

「そうだ。中津瀬神社』の『狛犬』は、ライオンなんだ」




「え?『獅子』ではないの?どうして、ライオンなの?」

「1945年7月2日の空襲だよ」

「え?空襲?....1945年7月2日….ああ、宇部の大空襲だね」

「宇部は、8回、空襲を受けているんだが、1945年7月2日の空襲が一番、大規模で、2万人以上の罹災者が出たんだ」


この時(1967年である)、聡明で博識な『少年』の父親も、1945年7月29日の宇部の空襲のことに言及はしなかった。1945年7月29日の空襲では、広島への原爆投下の実験として、模擬原爆(通称:パンプキン爆弾=かぼちゃのように丸い形をしていたことから命名)が3発、落とされたが、この時はまだ、その事実は知られていなかったのだ。


「あ!その中津瀬神社』も空襲で焼けたの?」

「そうだ。中津瀬神社』も空襲で焼失し、再建する際に、『狛犬』としてライオンの像を譲り受けたんだよ」

「どこから?」

「『錦橋』だ。宇部の『真締川』にかかっている橋だ。そこに、4体のライオン像があったんだが、橋をかけ直すことになった際に、中津瀬神社』が2体を譲り受けたんだそうだ。残り2体は、宇部の『松涛神社』(まっしょうじんじゃ)にあるそうだ」

「橋にライオンの像があったの?どうして?」


と、『少年』が素直な疑問を口にした時、


「お前、あん時、クラクラしとったのお。ふふ…」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の夫の方も、妻が嗅いだ臭いニオイ(実は、同じバスに乗る、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年が、美少女である『少年』の妹、そして、その母親に起因して発したニオイ)について、妻が結婚前に自分の部屋に来た時に嗅いだ自分の臭いニオイと同じ種類のものであり、その時に妻がある種の『『反応』を示したことを思い出したのだ。



(続く)





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