2022年2月18日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その143]

 


「『狛犬』って、犬っていうけど、あれ、犬じゃないよね?」


と、『少年』が、腕組みして、虚空に『狛犬』を思い描いた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「『高麗』の犬は、普通の犬とは違ったのかな?」


と云いながらも、『少年』は、『普通の犬ではない犬』という自らが吐いた言葉の意味に納得がいかなかった。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させていたのだった。


「ああ、先ずだ、『狛犬』の『狛』は、『高麗』、『高句麗』から来ている言葉ではないかと云われている」

「やっぱりそうなんだね!」

「で、確かに、『狛犬』は、犬とはいっても犬ではないんだ。まあ、『獅子』なんだろうと思う」

「『獅子』って、ライオン?」

「うーむ、そこは難しいところだなあ。ライオンは、『獅子』だが、『獅子』はライオンではない、ということかなあ」

「ええ?ええ、ええ、ええ?」

「中国語で、ライオンは『獅子』らしい。だが、『獅子』は、厳密にはライオンではない。『狛犬』を見たことがあるだろう。あれが、ライオンか?」

「ああ、ライオンみたいといえばそうだけど、やっぱりライオンとは違うよね」

「だろう。『獅子』は、ライオンをもとに考えられた架空の生き物だ。元は、中国で考えられたから『唐獅子』とも呼ばれるんだ。獅子舞を知ってるだろ。あれが、『獅子』だよ」




「そうだあ!確かに、獅子舞の『獅子』って、『狛犬』だ」

「でもな、厳密には、両方が『獅子』ではないみたいなんだ」

「え?両方が、って?」


と、『少年』が、また父親に翻弄され始めた時、


「ありゃ、確かに臭いのお。こりゃ、堪らんでえ。じゃけど、なんか懐かしい感じもするのお」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の夫の方は、妻が、自らが嗅いだ臭いニオイについて、意味不明としか云いようがないことを云い出したことに怪訝を示したものの、何か引っ掛かるものをか感じたようであった。



(続く)




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