2022年2月24日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その149]

 


「ああ、東京の『日本橋』にあるのは、ライオンの像ではないんだ」


と、『少年』の父親は、またもや、故意に『少年』を戸惑わせるかのような云い方をした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「じゃあ、何の像があるの?」


と、『少年』は、父親の思う壺のような疑問を口にした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させた。しかし、『狛犬』は犬ではなく『獅子』であるとし、『獅子』はライオンではない、とはしたものの、宇部の『中津瀬神社』の『狛犬』が実は、橋に置かれていたライオン像を移設したものであることを『少年』に教え、更には、他にも、ライオン像のある橋があるが、それはヨーロッパを参考としたものであることも説明したが、東京の『日本橋』については、何やら違いがあると云い出していたのだ。


「先ずは、『麒麟』だ」

「キリン?」


と、『少年』が、自らの首を上に伸ばすような仕草を見せたので、




「ああ、『きりん』といっても、首の長いキリンではなく、この『麒麟』だ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『麒麟と書いた。


「ああ、この『麒麟』、見たことある!相撲取りの『麒麟児』の『麒麟』だね」

「そうだな。うっちゃりが得意だな、『麒麟児』は」


と、『少年』とその父親が話す『麒麟児』は、『花のニッパチ組』として人気のあった、突っ張りが得意の『麒麟児』ではなく、その先代の『麒麟児』で、後に『大麒麟』と改名し、大関にもなる方の『麒麟児』であった。


「いつも父さんが飲んでいる『キリンビール』も、本当の会社名は、漢字で、その『麒麟』に『麦酒』と書くんでしょ?」

「おお、よく知ってたな」

「ビールの瓶のラベルには、カタカナで『キリンビール』と書いてあるけど、でもお、そこに書いてある動物は、全然、『キリン』じゃなくって、あれは、空想上の動物なんでしょ?」

「その通りだ。『麒麟』は、中国の伝説上の神聖な動物だ」

「でも、本当にいる動物も『キリン』だし、なんだか紛らわしいよね。どうして、どっちも『きりん』なんだろう?」

「ああ、確かにそうかもしれんなあ。首の長い『キリン』は、英語では『giraffe』(ジラフ)なのになあ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『giraffeと書いた。


「一説には、上野動物園の園長だった人のせいだとも云うんだが…」


と、『少年』の父親が、なんだか気に入らないといった様子で説明を始めた時、


「何、云うとるんなら、お前、鏡で自分を見てみいや」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の夫の方が、妻になじるように、そう云った。自分が嗅いだ臭いニオイが、同じバスに乗る大学生らしい若い男(実は、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年)の発するものであり、若い頃の夫のように、自分が原因でその若い男もその臭いニオイを発したのでははないかと思ったことに関して、呆れてしまったのだ。



(続く)




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