2022年2月12日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その137]

 


「ああ、『古関裕而』は、こう書くんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『古関裕而と書いた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「ふううん、なんか見たことがあるような名前、というか、聞いたことがあるような…」


と、『少年』が、唸るような表情をした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前を出し、またもや『少年』を混乱させていた。


「ああ、そうだろうなあ。『露営の歌』も『暁に祈る』も『若鷲の歌』も、『古関裕而』が作曲したんだ」

「『古関裕而』も軍歌ばっかり作曲してたけど、右翼ではなかった、ということ?」

「『♫タンタラッタッタンタンタラッタッタン♫』」


と、『少年』の父親は、突然、歌詞のない歌を歌い出した。


「え?それ、スポーツ番組が時始まる時の曲?」

「ああ、『スポーツ行進曲』っていって、NHKのスポーツ中継の始まる時につかわれる曲だ。『古関裕而』の作曲だ」

「へええ、軍歌とは違うね」

「『♫ターンタタタン、タタタタタターン♫』」

「お、お、オリンピックの行進曲でしょ!それも、『古関裕而』の作曲だったの?」

「そうだ。この前の東京オリンピック用に『古関裕而』が作曲した『オリンピックマーチ』だ」

「うん!東京オリンピックだ!」

「『♫かーねがなーります、キンコンカン♫』」

「知ってる、知ってる。とんがり帽子の、っていう歌だね」

「そう、『とんがり帽子』という曲だ。戦災孤児のドラマの『鐘がなる丘』の主題歌だ」

「『古関裕而』って、右翼じゃないんだね」

「『♫くーもーわあわーきい、光あふーれーてえ♫』」


と、『少年』の父親は、更に歌い出した。


「あ、その歌は…確か…」

「『栄冠は君に輝く』だ。甲子園だよ」

「そうだ、そうだ。聞いたことがある。高校野球の歌だね」




「『♫こーんぺーきーのそーらあ、はーしゃ、はーしゃ、早稲田あ♫』」

「あ、早稲田大学の歌だ!校歌…じゃなくって」

「応援歌だ。『栄冠は君に輝く』も、この応援歌も、勿論、『古関裕而』の作曲だし、『伊藤久男』が関係しているんだ。『栄冠は君に輝く』を最初に歌ったのは、『伊藤久男』だし、早稲田大学の応援歌を『古関裕而』が作曲したのは、『伊藤久男』が推薦したからなんだ。2人は、共に福島出身で仲が良かったんだ」


と、50年余り後であれば、多くの人がNHKの朝ドラ『エール』を見て知っているであろうことを、『少年』の父親は説明し、


「『♫あー、ホイヤーア♫』」


と、バスの中で小さく抑えた声ながら、突然、叫ぶように歌い出した時、


「ええ、何?何なん?」


バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の妻の方が、しかめっ面をして、そう云った。


(続く)




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