(夜のセイフク[その50]の続き)
「(くだらん!実にくだらん!もう読まんぞ、こんなくだらん話!)」
冊子『東大』の号が進み、そこに掲載された『ミージュ・クージ vs ヒーバー』の章が進むに連れ、ビエール・トンミー君の失望も大きくなった。
一向に『ヒーバー』の正体は明らかにされず、街(広島市)を襲ってくる、と云う出所不明の噂が、ただただ続けられていた。
「(やはり、ミージュ君には、無理だったのだ)」
『ヒーバー』退治に乗り出すはずであった『ミージュ・クージ 』も、『退治してやる』と云うだけで、具体的な行動は一切行わない。
「(ボクだったら、今頃、『ヒーバー』を退治している頃だ)」
小説の作中人物は(『ミージュ・クージ vs ヒーバー』を小説としていいかどうかは不明であるが)、作家の意思に必ずしも従わず、自ら生きるものだ。
そのことをビエール・トンミー君知っていたかどうかは分からないが、自分を主人公にしなかったばかりに、『ミージュ・クージ vs ヒーバー』は迷走するようになってしまった、とビエール・トンミー君は解釈したのだ。
しかし、ふと冷静になったビエール・トンミー君は、思った。
「(だが、ボクは何故、こんな内容の全くない、ただくだらないとしか言いようがない、世の役に全く立たない物を読み続けているのだろう?)」
何十年か後に、あるBlogのことで同じような思いを抱くことになるとは、その時、ビエール・トンミー君は、まだ知らなかった。
後年、『曲がったことが嫌いな男』とか『夜のセイフク』等という、ただただダラダラと進展なく、内容もなく続くBlogを読まされるようになるのだ。
「(そもそも『月にうさぎがいた』からしてくだらなかったのだ)」
冊子『何会』の創刊号の巻頭読み物のことを思い出した。
「(ボクは、エヴァ君のことをやはり買い被っていたのだ)」
と、後悔の念が生じた時のことであった。
「君に頼むからね!」
いつもの屈託ない声が、ビエール・トンミー君の頭の上から降ってきた。
1970年の広島県立広島皆実高校1年7ホームの教室である(クラスのことを皆実高校では『ホーム』と呼んだ。今もそうかもしれない)。昼休みであった。
(続く)
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