2022年2月28日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その153]

 


「『石川千代松』が、『キリン』を漢字の『麒麟』だとして購入許可を得ようとしたのは、あながち嘘とは云えないものだったかもしれないんだ」


と、『少年』の父親が、前言を翻すようなことを云い出した。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「ええ!?」


と云うと、『少年』は、父親を見据えた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させた。しかし、『狛犬』は犬ではなく『獅子』であるとし、『獅子』はライオンではない、とはしたものの、宇部の『中津瀬神社』の『狛犬』が実は、橋に置かれていたライオン像を移設したものであることを『少年』に教え、更には、他にも、ライオン像のある橋があるが、それはヨーロッパを参考としたものであることも説明したが、東京の『日本橋』については、何やら違いがあり、『麒麟』について語り始めていたものの、何故か、日本に初めて『キリン』を持ち込んだ上野動物園の初代園長『石川千代松』が、ついた嘘についての話となっていた。しかし、それを云い出した『少年』の父親自身が、自らの発言を否定するようなことを云い出したのだ。


「『キリン』を、ああ、首の長い実在の『キリン』のことなんだが、漢字の『麒麟』としたのは、『石川千代松』が初めてだった訳ではないようなんだ」

「え、そうなの?誰が、初めて、『キリン』のことを漢字の『麒麟』としたの?」

「そこはよく知らないが、中国の『明』の時代の1420年頃、『鄭和』(ていわ)という武将がいて、海外遠征から戻る時に、『キリン』を持ち帰って、当時の皇帝の『永楽帝』に、漢字の『麒麟』として献上したとも云われているんだ」

「じゃあ、その『ていわ』という武将が、『キリン』のことを漢字の『麒麟』と云い出したんだね」

「うーむ、でもな、それよりも少し前に、今のインドや東パキスタン辺りの『ベンガル地方』から、『キリン』が中国に贈られていて、その絵も残っているんだそうだ」


『東パキスタン』は今『バングラデシュ』であるが、当時(1967年である)、まだバングラデシュは独立しておらず、『パキスタン』領であり、『東パキスタン』と呼ばれていた。


「その絵は、『瑞王麒麟図』(ずいおうきりんず)というものだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『瑞王麒麟図と書いた。


「その『瑞王麒麟図』には文章が添えられていて、『ベンガル』に『麒麟』が出た、と書いてあるそうなんだ。中国のことだから、勿論、漢字の『麒麟』だ」

「あれ?『キリン』ってインド辺りにもいたの?」

「お、いい質問だな。『キリン』の生息地は、本来、アフリカだから、元々は『ベンガル』にはいなかっただろう。『ベンガル』で有名なのは、むしろ虎だろうな。『ベンガル虎』っていうのがいるからな」

「ああ、『ベンガル虎』…何か聞いたことがあるような…」

「虎には、体が真っ白なのがいて『ホワイトタイガー』っていうんだが、その『ホワイトタイガー』は、『ベンガル虎』の一種らしい」




「へええ、『ベンガル』には、そんな虎がいるの。でも、『ベンガル』には『キリン』はいなかったんでしょ?」

「ああ、そうだな。でも、『ベンガル』がアフリカの国々とも交易をしていたから、『ベンガル』にも『キリン』が来て、その『キリン』が、更に、中国に贈られたんだろう」

「なるほどねえ。でも、どうして、『キリン』を漢字の『麒麟』にしたんだろう?」

「その理由までは知らないが、当時、『キリン』は未知の動物で貴重なものだっただろうから、皇帝に献上するには、聖なる伝説上の動物『麒麟』とするのが良かったのかもしれん」


と、『少年』の父親が、後に、大東文化大学の『湯城吉信』教授が唱えるような説を発した時、


「ふん!汚い!」


と、実は、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年が、バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声で呟いた。


(続く)




2022年2月27日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その152]

 


「ふふ…『石川千代松』はな、『きりん』が手に入った、と国に嘘をついたんだよ」


と、『少年』の父親は、含み笑いに更に勿体をたっぷりつけた云い方をした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「え?それが嘘なの?だって、本当に『きりん』を買うことができることになったんでしょ?」


と、『少年』は、父親相手ではあったが、堂々と異を唱えた。


広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させた。しかし、『狛犬』は犬ではなく『獅子』であるとし、『獅子』はライオンではない、とはしたものの、宇部の『中津瀬神社』の『狛犬』が実は、橋に置かれていたライオン像を移設したものであることを『少年』に教え、更には、他にも、ライオン像のある橋があるが、それはヨーロッパを参考としたものであることも説明したが、東京の『日本橋』については、何やら違いがあり、『麒麟』について語り始めていたものの、何故か、日本に初めて『キリン』を持ち込んだ上野動物園の初代園長『石川千代松』が、ついた嘘についての話となっていた。


「『石川千代松』が云った『きりん』は、漢字の『麒麟』だったんだよ」

「え?『麒麟麦酒』の『麒麟』?」

「そうだ」

「そんなバカな!だって、『麒麟」って空想の動物でしょ?」

「そこだよ。あの『伝説の動物』が手に入った、ということに、予算の7倍でも買う価値がある、としたんだよ」

「ええ!それって、おかしいよ。だって、嘘に決まってるじゃない!」

「その通りだな。しかし、伝説の『麒麟』が手に入るとしたが、価格が高過ぎて『石川千代松』は辞任に追い込まれた、という説もあるようなんだ」

「そりゃ、そんなひどい嘘をついたからだよ」

「それがな、多分、実際には、『キリン』購入を正式に決める前に、『キリン』が日本に到着してしまったことで辞任せざるを得なくなったようなんだ。しかも、横浜港に到着した『キリン』を上野まで運ぶ際や動物園に収容した際に、一般公開前なのに、『キリン』の首が長過ぎて、というか背が高過ぎて大衆に知られてしまったようなんだ」




「なるほどねえ。でも、『石川千代松』さんが、『キリン』のことを漢字の『麒麟』だとしたのは、嘘は嘘だよね。それはいけないよね」

「ところがだ…」


と云って、『少年』の父親が、口をへの字に結んだ時、


「アンタあ、やめんちゃいやあ。バスの中でそうようなこと云いさんなや」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の妻の方が、隣に座る夫の肩をポンと叩いた。妻は、自分が嗅いだ臭いニオイが、同じバスに乗る大学生らしい若い男(実は、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年)の発するものであり、若い頃の夫のように、自分が原因でその若い男もその臭いニオイを発したのでははないかと思ったことに関して、夫が呆れ果てたといった云い方をてきたので、若い頃、夫が自分に迫ったきた時のことを云い出し、夫も若い頃の妻の魅力を思い出したようであったのだ。


(続く)




2022年2月26日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その151]

 


「え?ええ?『石川千代松』さんが、嘘をついたの?」


と、『少年』は、父親に怪訝な表情を向けた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「『石川千代松』さんって、上野動物園の初代園長なんだから、えらい、立派な人なんじゃないの?」


と、『少年』が、父親に正論を述べた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させた。しかし、『狛犬』は犬ではなく『獅子』であるとし、『獅子』はライオンではない、とはしたものの、宇部の『中津瀬神社』の『狛犬』が実は、橋に置かれていたライオン像を移設したものであることを『少年』に教え、更には、他にも、ライオン像のある橋があるが、それはヨーロッパを参考としたものであることも説明したが、東京の『日本橋』については、何やら違いがあり、『麒麟』について語り始めていたものの、何故か、日本に初めて『キリン』を持ち込んだ上野動物園の初代園長『石川千代松』についての話となっていた。


「ああ、立派な人だったんだと思う。元々は旗本の家の出で、東京大学というか、東京大学は、帝国大学という名前になったり、東京帝国大学という名前になったりしたんだが、そこの理学部を卒業しているんだ。東京大学の教授にもなっているし、『進化論』を日本に初めて紹介した人でもあるようなんだ」




「旗本の家だからとか東京大学出身だから偉いとは限らないんだろうけど、でも、やっぱり、なんか凄い人なんだと思う」

「『石川千代松』は、それにな、『箕作麟祥』とも関係あるんだぞ」

「え?『箕作麟祥』って、あの『ナポレオン法典』を翻訳した人でしょ?」



(参考:【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その102]



「そうだ。あの『箕作麟祥』だ。『石川千代松』は、『箕作麟祥』のお嬢さんと結婚したんだ」

「へえええ!でも、そんな『石川千代松』が嘘をついたなんて、なんだか変じゃないの。どうして、嘘をついたの?どんな嘘をついたの?」


と、『少年』が、再び、『箕作麟祥』の名を聞いて驚きながら、父親にそう訊いた時、


「誰だったんじゃろうかのお、お前のことを『可愛いのお』云うたんは?...まあ、あの頃は、お前もええ匂いがしとったけえ」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の夫の方が、隣に座る妻に顔を近づけ、クンクンと鼻を鳴らした。妻が、自分が嗅いだ臭いニオイが、同じバスに乗る大学生らしい若い男(実は、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年)の発するものであり、若い頃の夫のように、自分が原因でその若い男もその臭いニオイを発したのでははないかと思ったことに関して、夫が呆れ果てたといった云い方をしたところ、妻は、若い頃、夫が自分に迫ったきた時のことを云い出してきたのだ。


(続く)




2022年2月25日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その150]

 


「『石川千代松』という人だ」


と、『少年』の父親は、突然、『少年』にはなんだか江戸時代の人のように思える人名を持ち出した。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「明治時代の人で、上野動物園の初代園長さんだ。正式には、『園長』ではなく『監督』だったらしいんだが」


と、『少年』の父親は、英語では『giraffe』(ジラフ)である動物が、日本で『キリン』となった理由を説明し始めた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させた。しかし、『狛犬』は犬ではなく『獅子』であるとし、『獅子』はライオンではない、とはしたものの、宇部の『中津瀬神社』の『狛犬』が実は、橋に置かれていたライオン像を移設したものであることを『少年』に教え、更には、他にも、ライオン像のある橋があるが、それはヨーロッパを参考としたものであることも説明したが、東京の『日本橋』については、何やら違いがあり、『麒麟』について語り始めていたのであった。


「その園長さんが、『キリン』と関係あるんだね」

「そうだ。『石川千代松』さんに、ドイツの動物商人が、『キリン』を買わないかと持ちかけられたんだそうだ。それまで、日本には『キリン』が持ち込まれたことはなかったから、『石川千代松』さんは、その気になったようなんだが、その値段が余りに高過ぎたんだ。予算の7倍くらいだったらしい」

「でも、園長さんは、『キリン』を買ったんでしょ?お金はどうしたの?」

「上野動物園は、今は東京都立の動物園だけど、元々は、農商務省の所管、その後、宮内省の所管と、当時は国の管理のもとにあったから、国がお金を出したんだ」

「へええ、国もよくお金を出したね。『キリン』が珍しかったからなの?」

「確かに、それまで日本に『キリン』が持ち込まれたことはなかったようだからな。象は、室町時代にもう持ち込まれていたようだけど」




「それで、予算の7倍しても、国はお金を出してくれたんだね」

「いや、それがそうではなかった、ということなんだ」

「じゃあ、値段をまけてもらったの?」

「それがなあ、『石川千代松』さんが、嘘をついた、ということなんだがなあ…」


「あんたこそ、何、云うとるん!『お前、可愛いのお』云うたんは誰なん!?」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の妻の方が、自分を詰ってきた夫に言い返した。自分が嗅いだ臭いニオイが、同じバスに乗る大学生らしい若い男(実は、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年)の発するものであり、若い頃の夫のように、自分が原因でその若い男もその臭いニオイを発したのでははないかと思ったことに関して、夫が呆れ果てたといった云い方をしてきたのだ。


(続く)




2022年2月24日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その149]

 


「ああ、東京の『日本橋』にあるのは、ライオンの像ではないんだ」


と、『少年』の父親は、またもや、故意に『少年』を戸惑わせるかのような云い方をした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「じゃあ、何の像があるの?」


と、『少年』は、父親の思う壺のような疑問を口にした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させた。しかし、『狛犬』は犬ではなく『獅子』であるとし、『獅子』はライオンではない、とはしたものの、宇部の『中津瀬神社』の『狛犬』が実は、橋に置かれていたライオン像を移設したものであることを『少年』に教え、更には、他にも、ライオン像のある橋があるが、それはヨーロッパを参考としたものであることも説明したが、東京の『日本橋』については、何やら違いがあると云い出していたのだ。


「先ずは、『麒麟』だ」

「キリン?」


と、『少年』が、自らの首を上に伸ばすような仕草を見せたので、




「ああ、『きりん』といっても、首の長いキリンではなく、この『麒麟』だ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『麒麟と書いた。


「ああ、この『麒麟』、見たことある!相撲取りの『麒麟児』の『麒麟』だね」

「そうだな。うっちゃりが得意だな、『麒麟児』は」


と、『少年』とその父親が話す『麒麟児』は、『花のニッパチ組』として人気のあった、突っ張りが得意の『麒麟児』ではなく、その先代の『麒麟児』で、後に『大麒麟』と改名し、大関にもなる方の『麒麟児』であった。


「いつも父さんが飲んでいる『キリンビール』も、本当の会社名は、漢字で、その『麒麟』に『麦酒』と書くんでしょ?」

「おお、よく知ってたな」

「ビールの瓶のラベルには、カタカナで『キリンビール』と書いてあるけど、でもお、そこに書いてある動物は、全然、『キリン』じゃなくって、あれは、空想上の動物なんでしょ?」

「その通りだ。『麒麟』は、中国の伝説上の神聖な動物だ」

「でも、本当にいる動物も『キリン』だし、なんだか紛らわしいよね。どうして、どっちも『きりん』なんだろう?」

「ああ、確かにそうかもしれんなあ。首の長い『キリン』は、英語では『giraffe』(ジラフ)なのになあ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『giraffeと書いた。


「一説には、上野動物園の園長だった人のせいだとも云うんだが…」


と、『少年』の父親が、なんだか気に入らないといった様子で説明を始めた時、


「何、云うとるんなら、お前、鏡で自分を見てみいや」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の夫の方が、妻になじるように、そう云った。自分が嗅いだ臭いニオイが、同じバスに乗る大学生らしい若い男(実は、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年)の発するものであり、若い頃の夫のように、自分が原因でその若い男もその臭いニオイを発したのでははないかと思ったことに関して、呆れてしまったのだ。



(続く)




2022年2月23日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その148]

 


「ヨーロッパの橋には、結構、ライオン像のあるところがあるらしいから、それを真似たんだと思う」


と、『少年』の父親は、宇部市の『錦橋』にかつてあり、今、宇部市の『中津瀬神社』と『松涛神社』とに移設されたライオン像の謂れを想像し、『少年』に告げた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「ライオン像は、宇部の『錦橋』以外の橋でも置かれているんだよ」


と、『少年』の父親は、ライオン像のある橋についての解説を始めた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開していた。しかし、『狛犬』は犬ではなく『獅子』であるとし、『獅子』はライオンではない、とはしたのであったが….


「え、他にもライオン像のある橋があるの?」

「大阪の『難波橋』(なにわばし)だ。ライオンの像があるから、『ライオン橋』とも呼ばれているようだ。この『難波橋』のライオンの像も、『中津瀬神社』のライオンの像も、ちゃんと『阿形』の像と『吽形』の像とになっているんだ

「へええ、『狛犬』みたいだね。でも、どうして『阿吽』になっているの?」

「ハッキリは知らないが、まさに『狛犬』が、神社で神を守る役割に担っているように、橋か、橋が掛かっている街を守る、という意味が込めらているんじゃないのかなあ。橋にライオンの像を置くというのは、ヨーロッパを参考にしたようなんだが、『阿吽』にしたのは、とても日本的だと思う」

「え?ヨーロッパにもライオンの像のある橋があるの?」

「ああ、そうだとも、例えば、ハンガリーの首都のブダペストにある『セーチェーニ鎖橋』とか、ブルガリアの首都のソフィアには、その名も『ライオン橋』という橋があって、やはりライオンの像があるんだそうだ。ロシアのサンクトペテルブルクにも『ライオン橋』があるんだそうだ。勿論、ライオンの像があるということだ」

「橋にライオンの像を置くというのは、ヨーロッパから来たやり方なんだね」

「そうだな。ただ、『日本橋』はちょっと違ったみたいだ」

「え?『日本橋』?」




と、『少年』が、想定していなかった橋の名前に驚きを隠せなかった時、


「あの子、私、見て、臭うなったんじゃろうか?」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の妻の方は、自分が嗅いだ臭いニオイが、同じバスに乗る大学生らしい若い男(実は、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年)の発するものであり、若い頃の夫のように、自分が原因でその若い男もその臭いニオイを発したのでははないかと思ったようであった。



(続く)




2022年2月22日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その147]

 


「あれ?『中津瀬神社』を覚えてないか?」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『中津瀬神社と書いた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「新天町の商店街は覚えているだろ?」


と、『少年』の父親は、『少年』に対して、またもや勿体をつけた云い方をした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開していた。しかし、『狛犬』は犬ではなく『獅子』であるとし、『獅子』はラインではない、とはしたのであったが….


新天町の商店街って、宇部の?」

「そうだ。アーケードのある商店街があっただろ。あそこだよ。あそこにある神社が、『中津瀬神社』だ

「ああ、あそこに神社?...そう云えば、神社があったような気もするけど、それが、『中津瀬神社』なの?その神社が、『逆もまた真なり』なの?」

中津瀬神社』の『狛犬』を覚えていないか?」

「じゃあ、その神社の『狛犬』が『逆もまた真なり』??」

「そうだ。中津瀬神社』の『狛犬』は、ライオンなんだ」




「え?『獅子』ではないの?どうして、ライオンなの?」

「1945年7月2日の空襲だよ」

「え?空襲?....1945年7月2日….ああ、宇部の大空襲だね」

「宇部は、8回、空襲を受けているんだが、1945年7月2日の空襲が一番、大規模で、2万人以上の罹災者が出たんだ」


この時(1967年である)、聡明で博識な『少年』の父親も、1945年7月29日の宇部の空襲のことに言及はしなかった。1945年7月29日の空襲では、広島への原爆投下の実験として、模擬原爆(通称:パンプキン爆弾=かぼちゃのように丸い形をしていたことから命名)が3発、落とされたが、この時はまだ、その事実は知られていなかったのだ。


「あ!その中津瀬神社』も空襲で焼けたの?」

「そうだ。中津瀬神社』も空襲で焼失し、再建する際に、『狛犬』としてライオンの像を譲り受けたんだよ」

「どこから?」

「『錦橋』だ。宇部の『真締川』にかかっている橋だ。そこに、4体のライオン像があったんだが、橋をかけ直すことになった際に、中津瀬神社』が2体を譲り受けたんだそうだ。残り2体は、宇部の『松涛神社』(まっしょうじんじゃ)にあるそうだ」

「橋にライオンの像があったの?どうして?」


と、『少年』が素直な疑問を口にした時、


「お前、あん時、クラクラしとったのお。ふふ…」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の夫の方も、妻が嗅いだ臭いニオイ(実は、同じバスに乗る、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年が、美少女である『少年』の妹、そして、その母親に起因して発したニオイ)について、妻が結婚前に自分の部屋に来た時に嗅いだ自分の臭いニオイと同じ種類のものであり、その時に妻がある種の『『反応』を示したことを思い出したのだ。



(続く)





2022年2月21日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その146]

 


「ああ、『仁王』って、正しくは、『金剛力士』だからな」


と、『少年』の父親が、『狛犬』から派生して『仁王』について解説する。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「あ、『力士』だったら、プロレスラーじゃなくって、相撲取りだね」


と、『少年』が、素直な理解を示した。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進め、それが『仁王像』へと展開していたのである。


「いや、今は、というか日本では今は、『力士』って相撲取りのことだけど、元々は、力の強い人のことだから、今ならプロレスラーとしても間違いではないだろうな」

「その『仁王像』って、ああ、『狛犬』みたいに、お寺だけど入口、というか門のところに2人立っているね」

「『仁王像』には、『阿形』の像と『吽形』の像があるんだよ」

「だから、『阿吽』が『狛犬』に取り込まれたのは、仏教の影響、ということなんだね。でも、『阿形』の像の『獅子』と『吽形』の像の『狛犬』とがあっても、口を開けていてもいなくても、『狛犬』って『獅子』なのに、それがどうして、『犬』になったの?」

「ああ、ライオンは『獅子』だけど、『獅子』はライオンではないことは、もう説明しただろ」

「うん、『逆は必ずしも真ならず』だね」

「ところが、『逆もまた真なり』ということもあるから世の中は面白いんだ」

「ええ!?どういうこと?ライオンは『獅子』で、『獅子』はライオン、ということなの?そういうこともある、ということなの?」




「『中津瀬神社』を覚えているか?」

「『ナカツセ』神社?」


と、『少年』が、父親から新たな翻弄を浴びせられ始めた時、


「アンタあいうたら、あの臭い部屋で、いうか、臭いニオイがする体で、アンタあ云うたら!.....いやぁ、なに、思い出させるんねえ!」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の妻の方が、自らが嗅いだ臭いニオイ(実は、同じバスに乗る、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているらしき青年が、美少女である『少年』の妹、そして、その母親に起因して発したニオイ)について、夫が若い頃に放っていた臭いニオイであることを思い出し、勝手に『反応』を示したのであった。



(続く)




2022年2月20日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その145]

 


「そうなんだ。2匹の『狛犬』は、まさに『阿吽の呼吸』で神社を守っている、ということなんだと思うぞ」


と、『少年』の父親は、自らの息子の聡明に満足した様子を見せた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「でも、『阿吽の呼吸』の『阿吽』って、どういう意味なの?」


と、聡明な『少年』は、更なる疑問を抱いた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、一対(つまり2匹)の『狛犬』が、『阿吽の呼吸』の『阿形』の像と『吽形』の像であることまで話を進めていたのだ。


「『阿吽』というのは、元々は、サンスクリット語なんだよ」

「え、そうなんだ。じゃあ、『袈裟』や『檀那』と同じだね」

「『阿』は、口を大きく開いた時の音で、『吽』は、口を閉ざした時の音なんだそうだ。それで、万物というか宇宙の始りと終りを表しているようなんだ」

「『狛犬』って、ふか~い意味があったんだね!」

「ただ、厳密には、『阿形』(あぎょう)の像は、『獅子』で、『吽形』(うんぎょう)の像の方が、狭義には『狛犬』ということだ」

「でも、どっちも『獅子』に見えるよね。口が開いてるか閉まってるかの違いはあるけど」

「そうだな。どちらも犬には見えず、確かに『獅子』だと思うし、『狛犬』が日本に伝わった時には、『阿形』の像と『吽形』の像という構成ではなく、左右同じだったようだ」

「じゃあ、『阿形』の像と『吽形』の像ができたのは、日本でなの?」

「多分、そうなんだろう。『阿吽』が『狛犬』に取り込まれたのは、仏教の影響じゃないかと云われているようだ。お寺の門の左右にある『仁王像』って見たことがあるだろう?」

「ああ、相撲取りというかプロレスラーみたいにガッシリした体の像でしょ?」




と、それから(1967年)から10年後に、池上本門寺が戦災で焼失した『仁王像』を再建する際に、アントニオ猪木にモデルになってもらうことになることも知る由もなく、『少年』がそう云った時、


「あ、そういうたら、付き合うようになって、アンタの部屋に行った時のニオイみたいじゃあ」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の妻の方が、自らが嗅いだ臭いニオイについて、夫が、自分が若い頃に放っていた臭いニオイのようだ、と言及したことに反応を示した。



(続く)




2022年2月19日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その144]



「両方が、って、『狛犬』の『獅子』と獅子舞の『獅子』の両方が、ってこと?」


と、『少年』は、両方が『獅子』ではないみたい、という父親の言葉を理解できずにいた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「いや、神社の入口の左右に置かれている『狛犬』のことだ」


と、『少年』の父親は、『両方」の説明を始めた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となったのは、1829年(文政12年)であり、その年はまさに『天満屋』創業の年であったことに触れ、話はようやく『天満屋』の歴史に戻ってきたところ、説明はまた、『天満屋』発祥の地にある寺院『西大寺』の『会陽』というお祭へと派生していっていたが、『少年』は、『天満屋』の創業へと話を戻してきた。しかし、『天満屋』の創業時の業態である『小間物屋』の『コマ』へと、話は再び、派生し、その『コマ』は、朝鮮の『高麗』のことともされているが、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、『少年』は理解できないまま、『高麗』こと『高句麗』は、果たして朝鮮なのか、はたまた中国なのかという命題に飲まれ、更には、そもそも『国』とは何か?『何々人』とは何か、という小学校を失業したばかりの『少年』には難解すぎる命題を突きつけられてしまったものの、『少年』の父親は、更に、『ツングース』と『出雲』、更に更に『松本清張』の推理小説『砂の器』へと話を派生させていったが、『少年』の問いにより、出雲でも東北のような『ズーズー弁』が使われる歴史的な背景の説明へとワンステップ、話を戻した。しかし、『少年』の父親は、出雲弁に関係して、『伊藤久男』、『古関裕而』という2人の人物の名前と共に、『オロチョン』という『ツングース』系の民族の名前を出し、そこから何故か、『ヤマタノオロチ』を持ち出し、その正体について、『オロチョン族』説があることも紹介したが、『少年』は、話のテーマを、『高麗』をどうして『コマ』と読むのか、に戻し、『少年』の父親は、『高句麗』があった地域が、『狛』(こま)と呼ばれていたことを説明し、またもや話を『狛犬』へと派生させ、『狛犬』が『獅子』であることを説明してきていたのだ。


「左右に置かれている『狛犬』は、よーく見ると、必ずしも同じじゃないんだ」

「ええ?そうだったかなあ」

「『狛犬』は、神社によって色々だから、一概なことは云えないが、向って右側の方は口を開いた角を持つもので、向って左側は口を閉じた角のあるものになっているものがあるんだ。で、口を開いた方を『阿形』(あぎょう)の像、口を閉じた方を『吽形』(うんぎょう)の像というんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『阿形』、『吽形と書いた。


「ふううん…『阿形』、『吽形』って、どういうこと?」

「『阿吽の呼吸』って、聞いたことはないか?」

「ああ、聞いたことあるよ。何かする時に、2人の人の息がぴったり合うことでしょ」

「おお、そうだ。その通りだ。『阿吽の呼吸』の『阿』は『阿形』の『阿』で、『吽』が『吽形』の『』なんだ」

「はああ!『狛犬』に、『阿形』(あぎょう)の像と『吽形』(うんぎょう)の像とがあるのは、2匹の息がぴったり合ってる、っていうことなんだね!」





と、『少年』が、自らの口を尖らせ、父親の方に突き出した時、


「ああ、そうじゃ。ワシも若い頃、こうような臭いニオイ出しとったような気がするでえ」


と、バスに乗り合わせていた熟年の夫婦の夫の方は、妻が、自らが嗅いだ臭いニオイについて、意味不明としか云いようがないことを云い出したことに怪訝を示したものの、何か引っ掛かるものをか感じたが、その正体に思い当ったようであった。



(続く)