2022年1月8日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その102]

 


「そうだ。『権利』とか『義務』、『動産』、『不動産』という言葉は、『サンク・コード・ナポレオニヤン』(cinq codes napoléoniens)を翻訳した『仏蘭西法律書』という書物の中で使われたのが初めなんだ」


と、『少年』の父親は、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『仏蘭西法律書』と書いた。


「この『仏蘭西法律書』は、『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)という人が翻訳したんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『箕作麟祥』と書いた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』についての説明を続けていたが、説明はそこから『ナポレオン法典』が『内外人民婚姻条規』だけではなく日本に与えた影響についてのものとなっていた。


「この『箕作麟祥』という人は、凄い人で、フランス語の前に、先ず、英語を『ジョン万次郎』に習ったんだ」

「え!?『ジョン万次郎』って、混血の人?」


まだ『ハーフ』という言葉が定着していない時代であった。


「いや、純粋な日本人だ。正式な名前は、『中濱萬次郎』なんだが」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『ジョン万次郎』、『中濱萬次郎』と書いた。


「漁師の息子だから、生れた時には、苗字はなく、ただ『萬次郎』だったと思うんだが、後に、生れ故郷が、今の土佐清水市の中浜(なかのはま)というところだから、『中濱萬次郎』としたらしい」

「じゃあ、何故、『ジョン万次郎』なの?」

「『ジョン万次郎』は、14歳の頃、漁船に炊事なんかをする係として乗り込んで出航したものの、遭難して、アメリカの捕鯨船に救助されて、その後、アメリカで色々な教育を受けて、10年後になんとか帰国して、英語はできるし、海外事情に詳しいから、幕府や土佐藩なんかで人に教える立場になった人なんだ」

「なんだか、ドラマの主人公みたいだね」

「ああ、司馬遼太郎という作家が、『竜馬がゆく』という坂本龍馬を主人公とした小説を書いて、少し前に、それをテレビでドラマ化もしたんだが、その中に『ジョン万次郎』は出てくるんだ」


と、『少年』の父親が言及したテレビ・ドラマ『竜馬がゆく』は、毎日放送制作のもので、『竜馬がゆく』がNHKの大河ドラマになったのは、この説明の翌年(1968年)である。




「『ジョン万次郎』は、ペリー来航の時に、アメリカに関する知識を必要とした幕府の呼ばれて、旗本の身分を与えられて、その時に、『中濱』という苗字が与えられたんだ」

「じゃあ、どうして『ジョン万次郎』なの?」


と、『ジョン万次郎』という人物に関心があるものの、その名前に納得がいかない思いを『少年』が表した時、


「ボク、『岸田森』に似てるかなあ?…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。この呟きの主は、どうやら、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』の『兄』にして、『陽子』の恋情を抱く人物を演じた『岸田森』に似ていると云われているらしかった。


(続く)




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