2022年1月14日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その108]

 


「『箕作麟祥』が翻訳した『ナポレオン法典』を参考に、『内外人民婚姻条規』が制定された、ということなんだ」


と、『少年』の父親は、派生に派生を重ね、さらに派生していっていた話のテーマを元に戻してきた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「ああ、そこで初めて、国際結婚が認められるようになったんだね。じゃあ、『シーボルト』の日本人女性との結婚って、何だったの?」


と、『少年』も、『ナポレオン法典』そのものが問題ではなく、自分が知りたかったのは『シーボルト』の結婚問題であることを忘れていた訳ではないこと示す言葉を父親に向けた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』についての説明を続け、その『ナポレオン法典』を『仏蘭西法律書』という名前の書物に翻訳した『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)や、その『箕作麟祥』の師である『坂野長英』、更には、同じく『坂野長英』を師とした『高野長英』、箕作麟祥』の父親である『箕作阮甫』へと説明を派生させていったが、ようやく話のテーマは、当時(江戸時代)の結婚へと戻ってきたのであった。


「結婚って何だ?」


『少年』の父親は、『少年』の質問には答えず、質問に対し質問を、それもいきなり根元的な質問を『少年』に返してきた。


「え!?」

「どうすれば結婚したってことになるんだ?」

「それはあ……今だと、婚姻届を出すんでしょ。江戸時代だと、『所請状之事』と『離旦證文』とかが必要だったんでしょ」

「そうだな。そういう書類が必要ということは、それを必要とする決り、まあ、法律があることが前提だろうし、その法律を決める役所というか政治体制とかが必要だろう。但し、逆な云い方をすると、政治体制があったとしても、結婚を取り決める法律のようなものがないと、当然、その為の書類はないことになる」

「それはそうだよねえ…」

「もっと云うと、書類を作るのには、何が必要かということも問題になるんだ」

「ああ、そうだね。紙がないと書類は作れないよね」

「それもそうなんだが、それ以前に、文字がないと書類なんて存在し得ない」

「あっ、そうかあ!」

「じゃあ、原始時代に、結婚ってあったんだろうか?あったとして、その結婚って何なんだろう?」

「え!?原始時代の結婚?...」




と、『少年』が、一瞬、アニメ『恐妻物語』(原始家族フリントストーンである)では、タイトルに『妻』という言葉があるように、原始人が結婚していたことを脳裏に想い描きながらも、いや、あの原始人たちは、ネクタイをしたり、足で動く『自動車』もどきものに乗ったり、電気があり、テレビもあったりと、とても本当の原始人とは思えない生活をしていたから、あんなものは参考にしてはいけない、と自らの頭を小さく左右に振った時、


「でも、今更、『ミナミ』に『看護科』ができても、もう卒業してしまったボクには関係ないし…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。その呟きを聞いたものがいたら、呟きの主が、どうやら、最近、『看護科』ができたという『ミナミ』という学校の卒業生であり、『ミナミ』という学校は、広島の進学校である広島県立広島皆実高校だということを知ったであろう。


(続く)




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