「フランス語は、誰から習ったの、『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)は?」
と、『少年』は、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、父親に、『ジョン万次郎』に英語を学んだ『箕作麟祥』について訊いていた。
「独学だそうだ」
と、一言、『少年』の父親が答えた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』についての説明を続けていた。そして、その『ナポレオン法典』を『仏蘭西法律書』という名前の書物に翻訳した『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)言及していたのである。
「え!?独学?」
と、円く開けたままとなった『少年』の口は、驚きを隠せなかった。
「『箕作麟祥』の父親は、『箕作省吾』という人で、元々は、『箕作』ではなく、水澤藩の、ああ、今の岩手県だ、そこの『佐々木』家の人で、『蘭医』の『坂野長英』という人から『蘭学』や『漢学』を学んだんだそうだ」
と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『蘭医』、『蘭学』、『漢学』と書いた。
「『蘭医』というのは、分ると思うが、オランダの医学に基づく医者のことだな。『坂野長英』の弟子には、他に、『高野長英』という人もいて、『高野長英』は『シーボルト』の弟子でもあるんだ」
「え!『シーボルト』の!...でも、訊いたことのある名前だよ」
「『蛮社の獄』だよ」
と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『蛮社の獄』と書いた。
「『蛮社の獄』とは、幕府が『高野長英』らの蘭学者を弾圧した事件のことだ」
「『蛮社』って?」
「正式には、『蛮学社中』というんだ」
と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『蛮学社中』と書いた。
「『蛮学』は、『南蛮学』のことで、『南蛮』は、南の方から来た外国人のことだ。『蛮』は、元々は中国語にもある言葉で、文明の発達していない地域の人のことをいっていう言葉だが、日本では、今、云ったように、『南蛮』とか『南蛮人』で、西洋から来た外国人のことをいうようになったんだ。それで、『蛮学』は、『南蛮学』で、つまり、西洋の学問のことなんだ。『蛮学社中』は、その西洋の学問を学んでいた人たちの集まりのことだ。『社中』というのは、同じ目的を持った人たちの集まりのことさ」
「ということは、その『蛮学社中』で蘭学を学んでいた『高野長英』さんたちが、幕府に弾圧されたんだね。でも、どうして弾圧されたの?幕府は、オランダとは交流していたんでしょ?」
と、『少年』が、事件の背景まで知ろうとした時、
「『ミナミ』は、昔は女学校だったんだけど…」
バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。『ミナミ』という学校は、昔は女学校だったんだから、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』程に綺麗な少女がいてもよかったのに、という意味のようであったが、それは論理的のようで、決して論理的ではな買った。
(続く)
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