「まあ、なんにせよ、その『モーセ』が、『出エジプト』、つまり、虐げられて炊いたユダヤの人たちを連れてエジプトを出たのは、せいぜい16世紀頃のようなんだ」
と、『少年』の父親は、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、『モーセ』が海を割ったのはおとぎ話のようなものだとする『少年』に対して、『旧約聖書』の『モーセ』の律法がいつ頃のものあるのかを説明する。
「一方、『ハンムラビ法典』は、多分、18世紀に書かれているので、多分、『ハンムラビ法典』の方が『旧約聖書』より古いとは思う」
と、『少年』の父親は、同じ『目には目を』の記述がある『ハンムラビ法典』の方が『旧約聖書』とでは、どちらがより古いものであるのかを推定した。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』についての説明を続けていたが、説明はそこから『ハンムラビ法典』へ、更には、『旧約聖書』へと派生していっていた。
「ただ、『ハンムラビ法典』同様、『モーセ』も、『目には目を』で酷い復讐をしていい、としたのではなく、身分なんかの違いで刑罰が違ってはいけない、という意味で、そう定めたのではないかと思われるんだ。だが、やはり『目には目を』という言葉で誤解があるからなのか、イエスが、諭したようだ」
「え?イエス?イエス・キリスト?」
「そうだ。キリストだ。イエスは、<『目には目を』とあるも、悪意持つ人に抗うなかれ、右の頬を打たれたなら、もう一方の頬も差し出せよ>、というようなことを云っているんだ。『モーセ』の『トーラー』、ああ、『律法』だな、その一つの『レビ記』には、『復讐してはならない』とあるし、また別の『律法』である『申命記』には、『復讐するは我にあり』ともあるんだ」
「え???『復讐するは我にあり』って、復讐するぞ、ってこと?なんだか逆みたいな…」
「ああ、『復讐するは我にあり』の『我』は、『神』のことなんだ。つまり、復習するのは、『神』である『我』(自分)がするから、あなたは復讐してはいけない、という意味なんだ」
「ああ、そういうことなんだあ!『目には目を』と同じで、『復讐するは我にあり』も、表向きの言葉だけ捉えて間違った解釈をしてしまってはいけないんだね!」
『佐木隆三』が、小説『復讐するは我にあり』で直木賞を受賞するのは、それから9年後(1976年)のことである。
「ただ、『モーセ』よりも古く『ハンムラビ法典』は、現代の刑法にも影響を与るようなことを規定していたんだ。但し、『ハンムラビ法典』は、『ナポレオン法典』とは違って、さっきも説明したように、条文が刻まれたレリーフ像を発見した『シェイル』という人が、そう名付けたもので、正しくは、『ハンムラビ王』の名前がついた法典ではないんだけどな」
「『ナポレオン法典』は、今でもフランスではそう呼ばれているの?」
と、『少年』が、派生していっていた話のテーマを再び、『ナポレオン法典』に戻そうとした時、
「しかし、『徹』役の役者って、『森』で『しん』って、変な名前だ」
バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。『徹』は、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』の『兄』にして、『陽子』の恋情を抱く人物を演じた『岸田森』のことのようであった。
(続く)
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