2022年1月21日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その115]

 


「うう…そ、そうだなあ。『源氏物語』はいい本だが、ビエールにはまだ早いんじゃないかなあ」


と云った『少年』の父親は、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、妻の射るような視線を感じた。


「(あなた、どうして、『源氏物語』に触れちゃったの!)」


『少年』の母親の視線は、そう云っているようであったのだ。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』について説明し、『ナポレオン法典』を『仏蘭西法律書』という名前の書物に翻訳した『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)のこと、『箕作麟祥』の師である『坂野長英』、更には、同じく『坂野長英』を師とした『高野長英』、箕作麟祥』の父親である『箕作阮甫』のことまで説明していたが、ようやく話のテーマは、当時(江戸時代)の結婚へと戻ってきたところで、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開してしまい、父親が、古墳時際には、『妻問婚』(つまどいこん)という、夫が妻のところに通う結婚が一般的だったと説明したところ、『少年』は、『妻問婚』の場合、いつから結婚したことになるのか、と問い、父親は、回答に苦しみながら、『三日餅』(みかのもちひ)、そして、それを食べる、今でいう披露宴のようなものである『露顕』(ところあらわし)を説明したが、『少年』は、『露顕』まで三日間、男が女の元にこっそり通うことに納得せず、窮した父親は、『三日餅』(または、『三日夜の餅』)は、『源氏物語』にも出てくるものだ、と説明してしまい、『少年』は、『源氏物語』に興味を示したのだ。


「え?どうして、ボクには早いの?」


と、『少年』は、顰めた眉に怪訝を見せた。


「そ、そ、そりゃあ、あれだよ。…あ、そう、『源氏物語』は、古語で書かれているから、中学や高校で古文を習ってからでないとな。おお、そうだ、そういうことだ」


と云うと、『少年』の父親は、安堵の息を漏らした。


「あれ?『源氏物語』って、今の言葉に訳したものってあったんじゃないの?」

「うっ…まあ、『与謝野晶子』やら『谷崎潤一郎』なんかが現代語訳の本を出しているが、本物を理解するには、やはり原文で読まなくっちゃなあ。それに、『三日夜の餅』は、『源氏物語』の時代だけのことじゃなく、現代でもあるんだぞ」

「ええ!?今でも!?」

「1959年の皇太子の婚礼だ」

「ああ、馬車でパレードしたんでしょ?」




「そうだ。あれで、日本の家庭にテレビが随分、普及したんだ」

「どうして、馬車でパレードしたの?なんか、石を投げた人がいたの?どうして、皇太子夫婦に石を投げたの?」

「へっ!?....」


と、『少年』の父親が、普段は聡明で冷静沈着な男らしくなく、まさに『屁』のような言葉というよりも音を口から発した時、


「『洋子』ちゃんが、『ミナミ』に入ってくれるといいんだが…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。呟きの主は、どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようであったが、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女を凝視めていた。その美少女は、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に見えていたのだ。


(続く)




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