2022年1月9日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その103]

 


『ジョン万次郎』は、自分のことを『ジョン万次郎』とは云っていなかったようだし」


と、『少年』の父親は、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、『少年』に対して、『ジョン万次郎』という名前に関する説明をしていた。


「彼が生きていた頃に、他の人も彼のことを『ジョン万次郎』と呼んでいた訳ではないようなんだ」


と、『少年』の父親は、『少年』が混乱するであろうような説明を和えてしているかのようでもあった。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』についての説明を続けていた。そして、その『ナポレオン法典』を『仏蘭西法律書』という名前の書物に翻訳した『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)が、フランス語の前に、先ず、英語を習った『ジョン万次郎』に関する説明に及んでいたのである


「ええ?じゃあ、ますます分らないよ。『マンジロー・ナカハマ』なら分るけど」


と、『少年』が異を唱えた。


「『ジョン万次郎』という呼び方は、『井伏鱒二』が考えたんだ」

「『井伏鱒二』って、小説家の?読んだことはないけど」

「そうだ。『井伏鱒二』は、ここ広島とも関係が深いんだ。広島市出身ではないが、今の広島県福山市、当時は、安那郡加茂村粟根というところで生れたんだ。だからだろうか、最近、『黒い雨』という凄い小説を発表したんだ」


『井伏鱒二』の代表作である『黒い雨』は、雑誌『新調』に、1965年1月号から1966年9月号まで連載されたのであった。


「『黒い雨』?雨が黒い?それが、広島と関係あるの?」

「『ピカドン』だよ。『ピカドン』が落とされた時に、『黒い雨』が降ったんだ」

「どうして、『ピカドン』で雨が降るの?それも、『黒い雨』が?」

「『ピカドン』の爆発で、地上の土や埃や『ピカドン』で起きた火災の煤なんかが上空に巻き上げられ、雲となったんだ。それに、やはり『ピカドン』の爆発で空中の水蒸気も上昇したんだが、上空で冷えて水滴となって、巻き上げられていた土や埃や煤なんかとくっついて『黒い雨』となったんだ」

「『黒い雨』に濡れると体も黒くなっちゃうね」

「体が黒くなるだけなら良かったんだがな」


と、『少年』の父親が、何故か、『ジョン万次郎』の説明から『井伏鱒二』、更には、『黒い雨』について語り出していた時、


「ボク、『岸田森』に似てるのは嫌だけど、『洋子』ちゃんを間近に見れるんだったらいいなあ」




バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。この呟きの主は、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』の『兄』にして、『陽子』の恋情を抱く人物を演じた『岸田森』のことは好きではなかったようだが、『陽子』を演じる『内藤洋子』を眼の前で見れることは、羨ましかったのだ。


(続く)




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