「『黒い雨』には、土や埃や煤だけではなく、放射線物質が含まれていたんだ」
と、『少年』の父親は、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、『少年』に対して、『ピカドン』、つまり、原爆によって降った『黒い雨』について説明をしていた。
「『ピカドン』で一瞬の内にだったり、程なくして、何十万人もの人がなくなったんだが、直接に被曝しなかった人たちでも、この『黒い雨』で被曝した人たちがいるんだよ。『井伏鱒二』の『黒い雨』は、直接には被曝はしなかったが、この『黒い雨』を浴びたことで原爆症を発病した若い女性のことを描いた小説なんだ。被曝者の差別や偏見なんかが描かれているんだ」
と、『少年』の父親は、『少年』に『黒い雨』について語ったが、その後、50年以上経っても、『黒い雨』を浴びた人たちが必ずしも被爆者として認定されないでいることになるとは思いもしなかった。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』についての説明を続けていた。そして、その『ナポレオン法典』を『仏蘭西法律書』という名前の書物に翻訳した『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)が、フランス語の前に、先ず、英語を習った『ジョン万次郎』に関する説明に及んでいたが、その『ジョン万次郎』に関わる『井伏鱒二』と彼が書いた小説『黒い雨』の話となっていたのである。
「この『黒い雨』を描いた『井伏鱒二』は、『ジョン萬次郎漂流記』という小説も書いていて、そこで『ジョン万次郎』という名前が使われたんだ」
「ああ、だから、『ジョン万次郎』という呼び方は、『井伏鱒二』が考えた、ということなんだね」
「アメリカ人からは、『ジョン・マン』と呼ばれていたそうだ」
「どうして、『ジョン』なの?」
「遭難して救助されたアメリカの捕鯨船が、『ジョン・ホランド号』だったからなんだ」
「その『ジョン・ホランド号』のお陰で、命が救われただけではなく、英語もできるようになって、いろいろな教育も受けられて、旗本にまでなったんだね」
「ただ、英語は、ちゃんとした教育を受けたわけではなかったから、聞き取りは得意だったけども、文法はダメで、だから翻訳は得意ではなかったらしい。ただ、耳で覚えた『ジョン万次郎』の英語は、今の普通の日本人より発音は良かったようなんだ。例えば、『アメリカ』は『メリカ』で、『ウオーター』は『ワラ』、『ニューヨーク』は『ニュウヨゥ』で、むしろその方が、本当のアメリカ人が話す発音に近いようだ」
「その『ジョン万次郎』に、『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)は英語を習ったんだね」
と、『少年』が、父親の派生に派生を重ねがちな父親の説明を、元のテーマに戻すような発言をした時、
「『洋子』ちゃんのような子は、『ミナミ』にはいなかった…」
バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。この呟きの主は、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』のことを云っているようであった。
(続く)
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