2022年1月30日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その124]



「いや、『イネ』が医学を学んだのは、『シーボルト』からではないんだ」


と、『少年』の父親は、『少年』にとって意外な事実を口にした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「『イネ』が医学を学んだのは、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』という人だ」


と、『少年』の父親に云われても、『少年』は、顔に『解せぬ』という表情を明らかにした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、『少年』は、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではないという父親の説明に、訝しい気持ちを隠せなかった。


「どうして、『イネ』さんは、お父さんの『シーボルト』に医学を教えてもらわなかったの?」

「『シーボルト』は、『イネ』が2歳の時に、日本を離れたからだ」

「え、そうなの」

「より正しく云うと、『シーボルト』は、『イネ』が2歳の時に、日本から国外追放になったんだ」

「ええ!国外追放って、日本から追い出された、ということでしょ。何か悪いことをしたの?」

「うーん……まあ、そういうことになるんだろうな。日本から持ち出すことが禁じられていて日本の地図なんかを持ち出そうとしたんだ。『伊能忠敬』が作った『大日本沿海輿地全図』(だいにほんえんかいよちぜんず)だ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『大日本沿海輿地全図』と書いた。


「『シーボルト』の日本での任務が終り、程なく帰国する直前に、『伊能忠敬』が8年前に作ったこの地図を持っていたことが発覚したんだ」

「『伊能忠敬』って、歩いて測量をして正確な日本地図を作ったという人でしょ!?」




「そうだよ」

「『伊能忠敬』と『シーボルト』って、同じ時代の人だったんだね!でも…」


と、『少年』が感動を覚えながらも、何かを云いたげにした時、


「おお、『洋子ちゃん』に恨まれてみたい…えっ…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女を『源氏物語』の『若紫』と見立て、『新手枕』の翌朝に、彼女から恨まれた『光源氏』のようになりたいという、サディスティックでもありマゾヒスティックでもあるような感情が、彼の体内で泡立ち始めた。


(続く)




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