2022年1月13日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その107]

 


「『箕作麟祥』は、その『高野長英』の先生でもある『坂野長英』に学んだだが」


と、『少年』の父親は、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、『箕作麟祥』の説明に戻ろうとしたように見えたが、


箕作麟祥』の父親の『箕作省吾』は、地理学も学んで、『新製輿地全図』(しんせいよちぜんず)という日本初の世界地図も出しているんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『新製輿地全図』と書いた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』についての説明を続けていた。そして、その『ナポレオン法典』を『仏蘭西法律書』という名前の書物に翻訳した『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)言及し、その『箕作麟祥』の師である『坂野長英』にも言及し、更には、同じく『坂野長英』を師とした『高野長英』へと説明が展開していっていたが、今度は、箕作麟祥』の父親へと説明を派生させていった。


「え、日本初の世界地図!箕作麟祥』のお父さんが!」

箕作省吾』は、『坂野長英』から『箕作阮甫』(みつくり・げんぽ)という偉大な蘭学者のことを知り、その弟子となったんだ。『箕作阮甫』は、ペリー来航の時に、アメリが大統領の国書、外交文書だな、それを翻訳した人だ。箕作省吾』は、その『箕作阮甫』の弟子になっただけではなく、その娘と結婚し、婿養子になったんだ。それが、箕作麟祥』の父親なんだ」

「『箕作麟祥』のお父さんもおじいさんも、偉い人だったんだね。だから、『箕作麟祥』も優秀で、独学でフランス語ができるようになったんだね」

「『箕作麟祥』は、幕府がパリの万国博に使節を派遣すると知り、フランス語を独学し、その使節に随行して、フランスに行っている間もフランス語を勉強したんだそうだ。それで、明治になってから、フランスの法律、つまり『ナポレオン諸法典』の翻訳を政府から命じられて、『仏蘭西法律書』を書いた、ということなんだ」

「へええ、フランス語のことをなーんにも知らないところから、フランスの法律の翻訳をするところまで行くなんて、本当に凄いね!」


その時、『少年』は、表象的には『箕作麟祥』に似て、それからおよそ10年後、フランス語については、『il』(彼)、『elle』(彼女)くらいしか知らない自分が、『SNCF』(Société Nationale des Chemins de fer Français:フランス国鉄)の大家と云われることになろうとは思いもせず、そう云った時、


「『ミナミ』に『看護科』ができたということは…」




バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。元は女学校であった『ミナミ』という学校に『看護科』ができたことで、その『看護科』の生徒の中に、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』程に綺麗な少女がいるのではないか、という期待しても仕方がないことは分っていながら、それでも期待の念がこもっているような呟きであった。


(続く)




0 件のコメント:

コメントを投稿