2022年1月27日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その121]

 


「ああ、もう一つの説も、『お滝さん』は『遊女』だった、ということにはなるんだが」


と、『少年』の父親が、何やら含みをもたせたような云い方をする。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「元々は、『お滝さん』は『遊女』ではなく、立派な商家の娘だったとも云われているんだ」


と、『少年』の父親は、『少年』が混乱しかねない説明を始めた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻ってきたものの、その『結婚』相手の女性、『お滝さん』こと『楠本瀧』が『遊女』であったとされることについて2説持ち出してきていた。


「『お滝さん』は、立派な商家の娘から『遊女』になった、ということ?」

「と云えば、そうだし、そうじゃないと云えば、そうじゃないんだ。『其扇』(そのぎ)という『遊女』の名義を借りたんだよ。名義を借りた、というのは、名前を借りた、ということだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『其扇』と書いた。


「これで、『そのぎ』と読むの?」

「ああ、本来は、『そのおおぎ』かもしれないが、それが訛って、というか短縮された音のようになって『そのぎ』になったんじゃないかなあ」

「『其扇』(そのぎ)って、どうしてそんな名前なの?」

「うーむ…それは、知らないんだが、『投扇興』(とうせんきょう)という遊びがあって、その流派に、其扇』(そのぎ)と同じ漢字を書いて其扇流』(きせんりゅう)というのがあるから、その名前を使ったのかもしれないな」

「『とうせんきょう』?」

「ああ、『投扇興』(とうせんきょう)は、こう書くんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『投扇興』と書いた。


「ひょっとして、『投扇興』(とうせんきょう)って、扇を投げる遊びなの?」

「ああ、桐の箱の上に、『蝶』という、ああ、蝶々の『蝶』だ、その『蝶』という的を立てて、それに向けて扇を投げるんだ」




「ああ、その『蝶』という的を落としたら勝ちなんだね」

「いや、そんな無粋な遊びじゃないんだ。扇を投げた後の、ああ、桐の箱のことを『枕』というんだが、この『枕』と『扇』と『蝶』との位置関係によって、点数が決まっているんだ。対戦する2人が、それぞれ10回ずつ扇を投げて、合計得点が高い方が勝ちなんだ。で、点数が決っている位置関係には、それぞれ名前がついているんだが、『源氏物語』の『巻』からとった54の名前で競うルールと、『百人一首』に見立てた31の名前で競うルールとがあるんだ。『源氏物語』、『百人一首』の名前を使うなんて、優雅な遊びだろう」


と、思わず、『少年』の父親が、頬に笑みを浮かべた時、


「『洋子』ちゃんは、小学校高学年くらいだろうから、ボクとは、丁度、そう、『光源氏』と『若紫』くらいの年齢差だ…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女を『源氏物語』の『若紫』と見立て、その妄想はあるぬ方向に向かいそうであった。


(続く)




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