2022年1月19日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その113]

 


「でも、どうして、通い始めて『三日目』なの?」


と、『少年』は、まだ明らかにされていない点をつ父親に突く。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中である。


「まあ、『キャンセル期間』だな」


と、『少年』の父親が、ビジネス用語のような言葉を発した。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』について説明し、『ナポレオン法典』を『仏蘭西法律書』という名前の書物に翻訳した『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)のこと、『箕作麟祥』の師である『坂野長英』、更には、同じく『坂野長英』を師とした『高野長英』、箕作麟祥』の父親である『箕作阮甫』のことまで説明していたが、ようやく話のテーマは、当時(江戸時代)の結婚へと戻ってきたところで、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開してしまい、父親が、古墳時際には、『妻問婚』(つまどいこん)という、夫が妻のところに通う結婚が一般的だったと説明したところ、『少年』は、夫が妻のところに通って、どうするのか、という疑問を抱き、更には、『妻問婚』の場合、いつから結婚したことになるのか、と問い、父親は、回答に苦しみながら、『三日餅』(みかのもちひ)の説明をし始めていたのであった。


「『三日餅』(みかのもちひ)は、『露顕』(ところあらわし)で食べたようなんだ」


と、『少年』の父親は、『キャンセル期間』の説明はせず、また新たな言葉を出してきた。


「え、ええ??『とこあらし』?」


『少年』は、聞きようによっては問題な言葉を、或いは、的を射たような言葉を、勿論、その意識なく、口にした。


「いや、『ところあらわし』だ。こう書くんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『露顕』と書いた。


「んむ?これって、『ろけん』じゃないの?なんか、悪いことなんかがバレる、っていう…あ、いや、『ろけん』って、『露』(ろ)に『見』だったかなあ?」




「そう、『ろけん』は、こうも書くけど」


と、『少年』の父親は、手帳に、『露見』と書き、


「でも、『ろけん』は、『ところあらわし』の漢字の方、つまり、『露』(ろ)に顕微鏡の『顕』とも書くんだ」


と、『少年』の父親は、手帳に書いた『露顕』に丸をつけながら説明した。


「で、『露顕』(ところあらわし)が、一種の結婚式、というか、今でいう結婚披露宴のようなものだったんだ。そこで食べたのが、『三日餅』(みかのもちひ)なんだ」


と、『少年』の父親が、『三日餅』(みかのもちひ)と『露顕』(ところあらわし)との関係を説明した時、


「『ミナミ』からも、もっと『ハンカチ』と『OK牧場』にいけばいいのに…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。呟きの主は、どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようであったが、『ミナミ』こと母校の『広島皆実高校』から、もっと多くの生徒が、『ハンカチ大学』や、それと並んで私立大学の双璧とされる『OK牧場大学』進学することを望んでいるようであった。


(続く)




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