2022年1月25日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その119]

 


「『お滝さん』って?」


と、『少年』は、父親が出した初めて聞く名前について訊いた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「『シーボルト』が結婚した日本人の女の人って、『お滝さん』という名前なの?」


と、云いながら、『少年』は、『お滝さん』という女性がどんな女性なのか思い描こうとした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻ってきていたのであった。


「『楠本瀧』という人だ。『シーボルト』は、この『お滝さん』をとても愛して、ヨーロッパにはなかった紫陽花の中でも特に花の大きい品種を見て、『ヒドランゲア・オタクサ』(Hydrangea otaksa)という名前をつけて、ヨーロッパに紹介した、と云われているくらいなんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『Hydrangea otaksa』と書いた。


「ああ、『シーボルト』って、植物学にも興味を持っていたんだったよね。でも、『ヒドランゲア・オタクサ』と『お滝さん』って、どんな関係があるの?」

「『オタクサ』は、『お滝さん』が訛った云い方、というか、外国人的な発音だろ」

「ああ、そうだねえ。確かに、『オタキサン』…『オタキサ』、『オタクサ』だね」

「まあ、『シーボルト』自身が、『ヒドランゲア・オタクサ』の『オタクサ』は『お滝さん』からとったものだと云っている訳ではなく、そうなんじゃないの、と、『牧野』という植物学者がそう唱えるようになって、一般にそう思われるようになったようなんだがな」

「でも、『オタクサ』って、『オタキサン』な感じがするし、『シーボルト』が『お滝さん』を大事に思っているなら、『オタキサン』という名前をつけてもおかしくないと思う。でも、『ヒドランドゲア』って、何なの?」




「まさに紫陽花だ。紫陽花は、日本原産なんだが、『シーボルト』よりも50年くらいも前に、そうだなあ、確か、『テュユンベリー』というスウェーデン植物学者がヨーロッパに持ち帰っているし、その他の学者も持ち帰っていたようで、『ヒドランゲア』(Hydrangea)という名前は、『ヤン・フレドリック・グロノヴィウス』というオランダの学者が付けたと聞いたことがある。尤も、それは日本のアジサイにじゃなく、北米にある『アメリカノリノキ』という紫陽花の仲間に対してらしいんだがな」

「『ヒドランゲア』がどうして紫陽花なの?」

「ああ、『ヒドランゲア』(Hydrangea)は、ギリシア語から来ているらしく、『ヒドロ』(hydro)という『水』を表す言葉と『アンゲイオン』(angeion)という『器』を表す言葉を合わせたもののようだ。つまり、水の器だな。紫陽花が、沢山の水を吸収して蒸発させる性質を持っているからだったと思う」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『hydro』、『angeion』と書いた。


「長崎には、紫陽花が多かったの?」

「どうだろうなあ….そこのところはよく知らないが、長崎は雨の多い街と聞いたことはあるから、紫陽花も多かったのかも知れんなあ」


『内山田洋とクールファイブ』が、『長崎は今日も雨だった』をヒットさせるのは、それから(1967年)からまだ2年後にことであり、長崎市が、『シーボルト』に因んで、紫陽花を市の花とするのは、その(1967年)の翌年のことであった。


「美しい花に、自分の奥さんの名前をつけるなんて、なんかいい話だね。あ、そうだ!」


と、『少年』が何かに思いあたった様子を見せた時、


「いや、『洋子』ちゃんが、大学生になる頃、ボクは…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女が、それから数年後に、本当に『広島皆実高校』に入学することを知らず、『広島皆実高校』に入ることを望んだものの、自分が進学した田舎臭い学生が多い『ハンカチ大学』のキャンパスにいる姿を思い描けなかったが、東京での彼女との出会いを夢想し始めていたものの、自分との年齢差を忘れていたことに気付いた。美少女は、まだどう見ても小学生であり、彼女が大学生になる頃、自分はもうとうに大学を卒業しているのだ。


(続く)




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