2022年1月1日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その95]



「そうだ。『シーボルト』の時代には、国際結婚は、もっともっと難しかった、というか……」


と、『少年』の父親は、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、息子に向け、江戸時代の国際結婚についての説明を続けた。


「そもそも、今のような国際結婚なんてものはなかったと思う」


広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明した上で、江戸時代の国際結婚を語っていたのだ。


「国際結婚がちゃんと認められるようになったのは、明治6年、つまり、1873年だ」

「じゃあ、国際結婚がちゃんと持ちめられるようになって100年くらいにしかなっていないんだね」


と云いながらも、『少年』には、100年が短いようで長くも感じられていた。


「国際結婚をちゃんと認めたのは、『内外人民婚姻条規』という法律なんだよ」


と、『少年』の父親は、また手帳を取り出して開き、そこに、自身のモンブランの万年筆で、『内外人民婚姻条規』と書いた。


「『内外人民婚姻条規』は、『ナポレオン法典』を参考にしてできたそうだ」

「え!?『ナポレオン』って、あの『我輩の辞書に「不可能」はない』の『ナポレオン』?」


『少年』は、『ナポレオン』という想定外の言葉、というか人物が出てきたことに両眼を前に突き出すようにした。


その時、『少年』の方に顔を向けた『少年』の父親の背に、『少年』の母親が『あっかんべー』をしたのを見て、やや安心の表情を浮かべた『少年』の妹に向けて、




「『陽子』は、『道代』じゃなく、やはり『洋子』の方がいい」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、更に、呟いた。



(続く)




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