「ハハ!『コード・ナポレオニヤン』(codes napoléoniens)は、勿論、『ナポレオン』が猫の飼い方を決めた法律じゃないよ」
と、『少年』の父親は、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、『コード・ナポレオニヤン』と聞いて、『ナポレオン』が猫になったみたい、と云った娘に笑顔を向けたが、息子に対し、『ナポレオン法典』についての説明を続けた。
「複数形だから、正しくは、『ナポレオン諸法典』というべきかもしれないし、『サンク・コード・ナポレオニヤン』(cinq codes napoléoniens)として、『ナポレオン五法典』というべきかもしれない」
と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『cinq codes napoléoniens』と書いた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』についての説明を続けていた。
「え?五?」
「ああ、『サンク』(cinq)というのは、フランス語で『5』なんだ。『ナポレオン法典』は、つまり、『コード・ナポレオン』(Code Napoléon)は、元々は、『コード・シヴィル・デ・フランセ』(Code civil des Français)という名前で」
と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『Code civil des Français』と書いた。
「訳すと、『フラン人の民法典』だったんだ。それが、程なくして、『コード・ナポレオン』(Code Napoléon)に名前が変えられたんだが、要するに、『民法』なんだ。『民法』は、市民の財産とか家族関係とかを取り決める法律だな」
「へええ、『ナポレオン法典』って、一般にそう呼ばれているんじゃなくって、本当に法律の名前だったんだね。人の名前が法律の名前になっているなんて凄いね。でも、確か…『ハンムラビ法典』というのもあったよね?」
「ああ、『ハンムラビ法典』は、初代バビロニア王『ハンムラビ』が制定した法典と云われているが、条文が刻まれたレリーフ像を発見した『シェイル』という人が、そう名付けたもので、体系的な法律というよりも、王が下した判決を集めた『判例集』のようなものだとも云われているんだ」
「『目には目を』とか『歯には歯を』でしょ?」
「ああ、『タリオの法』だな」
「『タリオ』?」
と、『少年』が、違うとは思うものの、『タリ夫』という聞きなれない少年のような名前を想像した時、
「『徹』の気持ちは分かるんだが…」
バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。『徹』は、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女の『兄』とされた人物のことのようであった。
(続く)
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