「知ってのたか?」
と、『少年』の父親は、純粋な、ともいえる驚きをもって、自らの息子の顔を覗き込むようにした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。
「あれは、19歳の浪人生だったと思う」
と、『少年』の父親は、息子への回答を、自らの記憶を辿るように、虚空に視線を遣りながら、始めた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』について説明し、『ナポレオン法典』を『仏蘭西法律書』という名前の書物に翻訳した『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)のこと、『箕作麟祥』の師である『坂野長英』、更には、同じく『坂野長英』を師とした『高野長英』、『箕作麟祥』の父親である『箕作阮甫』のことまで説明していたが、ようやく話のテーマは、当時(江戸時代)の結婚へと戻ってきたところで、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開してしまい、父親が、古墳時際には、『妻問婚』(つまどいこん)という、夫が妻のところに通う結婚が一般的だったと説明したところ、『少年』は、『妻問婚』の場合、いつから結婚したことになるのか、と問い、父親は、回答に苦しみながら、『三日餅』(みかのもちひ)、そして、それを食べる、今でいう披露宴のようなものである『露顕』(ところあらわし)を説明したが、『少年』は、『露顕』まで三日間、男が女の元にこっそり通うことに納得せず、窮した父親は、『三日餅』(または、『三日夜の餅』)は、『源氏物語』にも出てくるものだ、と説明したものの、『少年』の納得を得られそうになく、『三日夜の餅』は、皇太子(今、つまり2022年の時点で『上皇』である人)の婚礼の際でもあったという説明を始めたのであったが、『少年』はその婚礼のパレードで投石事件があったことに触れてきたのだ。
「『変な人』だったんんでしょう?」
『少年』は、もっと別の云い方をしたかったが、その時持ち合わせている語彙では、そうとしか表現できなかった。
「いや、『変』ではなかったかもしれない。確か、週刊現代か石原慎太郎が書いたものにあったように思うんだが….皇太子や皇太子妃に対して、個人的な恨みを持っていた訳ではなく、その結婚も否定していたのではなく、それ自体は祝福されてしかるべきように思っていた、とあったと思う」
「なのに、どうして、皇太子やその奥さんに石を投げたの?」
「その結婚にあたって、御所が2億円以上もかけて建てられたり、パレードにも随分、お金をかけていることに疑問を持ったようだ。自分の母校である高校が火事で全焼した時には、数百人も生徒がいる学校なのに、その建て替えには、確か4千万円くらいしかかけられなかったことなんかを考えるとおかしい、と思ったようだ」
「ふううん。そう思うことって、うん、『変』ではないような気がする。でも、石を投げるのはいけないと思う」
「ああ、石を投げるのはいけない。でも、元々は、皇太子や皇太子妃に石を投げるけるつもりではなかったんだと思う。馬車の窓ガラスを破るつもりだったんじゃなかったかなあ」
「あれ、よく覚えていないけど、あのパレードの馬車って、オープンカーみたいで、窓なんかなかったんじゃないの?」
「そうだ。窓はなかった。で、その19歳の浪人生は、無意識のうちに、石を投げてしまったようだ」
「馬車の窓ガラスはなかったんだろうけど、でも、もし窓ガラスがあったとしても、それを破って、どうしようとしていたの?」
「一言、云いたかった、ということだったと思う」
「え?何を云いたかったの?」
「皇太子は一応でも最高学府、つまり、大学だな、そこを出ているし、皇太子妃は、その皇太子よりももっと頭がいいという噂だから、彼らは、自分が云うことを理解するんじゃないかと思ったようだ」
「何を理解するの?」
「さっきも云ったように、国民の生活に関わるようなことに余りお金を使わず、皇室のことに多額のお金を使うこと、いや、もっと云うと、天皇制そのものだろうなあ、それがおかしい、ということを皇太子や皇太子妃は、頭がいいなら、彼ら自身、そう思っているんじゃないか、と思ったようだ。だから、そういったことについて話し、皇太子が自ら自分の地位について判断することを願った、というようなことだったと書いてあったように思う」
「ふううん。『変な人』ではなかった、ような感じがする。でも、皇太子や奥さんは、その人が思ったように、天皇制がおかしい、と思っているの?」
「それは知らないなあ」
「どうして、沢山、お金をかけてパレードをしたの?」
「うーむ、皇太子自身の判断ではなく、政府がそうしたんだと思うが」
「政府は、どうして、沢山、お金をかけてパレードをすることにしたの?」
と、『少年』が、やや冷静さを失いかけているようにも見える父親に対して、冷静さを更に失わせかけない質問をした時、
「『洋子』ちゃんなら、『ミナミ』に入れるだけではなく…」
バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女が、それから数年後に、本当に『広島皆実高校』に入学することを知らなかった。
(続く)
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