2022年1月2日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その96]

 


「ああ、その『ナポレオン』だ」


と、『少年』の父親は、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、息子の質問に答える。


「『ナポレオン1世』の『ナポレオン・ボナパルト』だ」




広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明した上で、国際結婚がちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律が、『ナポレオン法典』を参考にしてできたと説明していたのだ。


「『ナポレオン法典』って、『ナポレオン』が作った法律のこと?」


『少年』は、『内外人民婚姻条規』のことも気になっていたが、その『内外人民婚姻条規』に、あの『ナポレオン』が影響を与えたということへの関心が先に立った。


「ああ、そうだ。『法典』というのは」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『法典』と書いた。


「ちゃんとした構成で文章化された法律のことだ。『典』というのは、拠り所となる大切な書物、といった意味合いの言葉だからな。『ナポレオン法典』以前は、フランスでは、文章化された、つまり明文化された統一した法律がなかったようだ。慣習とか判例に基づいた判断が為されていたのを、『ナポレオン』が明文化した法律を作ったんだ」

「へええ、『ナポレオン』って、ただ強かった人としか思っていなかったけど、そんなことをしたなんて、偉かったんだね」

「ああ、『ナポレオン』自身、『Ma vraie gloire, ce n'est pas d'avoir gagné quarante batailles ; Waterloo effacera le souvenir de tant de victoires. Ce que rien n'effacera, ce qui vivra éternellement, c'est mon Code civil. 』と云ったんじゃないかとも云われているからな」

「え?」


と、『少年』が、父親の口から出てきたフランス語らしき言葉に、文字通り、面食らった様子を見せた時、『少年』の妹も、兄である『少年』同様、父親の口から出てきたそのフランス語らしき言葉に、文字通り、面食らった様子を見せたが、その『少年』の妹に向けて、


「『安田道代』も綺麗で、演技も上手かったけど」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けた。女優の『安田道代』が、アパレル・ブランド『BIGI』の創業者の一人である『大楠祐二』と結婚し、芸名も『大楠道代』とする9年前であった。



(続く)




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