2022年5月5日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その219]

 


「『コノシロ』の場合もあるんだよ」


と、『少年』の父親は、『少年』の混乱を恐れず、そう云った。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「えっ?!」


『少年』は、あからさまに眉間に皺を寄せた。


「『コハダ』は『コノシロ』なんだよ」


と、『少年』の父親は、日本語でないようだが、知っている人からしたら、当り前の日本語でしかないことを口にした。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来、『佐藤春夫』の詩『秋刀魚の歌』へと話は派生していっていたが、

『さんま』を漢字でどう書くのか、という質疑に戻り、『少年』の父親は、ようやく、『さんま』を一文字の漢字では、魚偏に『祭』と書くことを説明したものの、どうやら、その漢字は、本来、『コノシロ』を指すものであったようであった。ところが、『少年』の父親は、『少年』を混乱させかねないことを云い出してきたのであった。しかし…


「あ~あ、出世魚っていうの、それ?」

「おっ…出世魚を知っていたか!そうだ。『コノシロ』は出世魚で、小さい時が『コハダ』なんだ。その『コハダ』を魚偏に『祭』と書くんだ」




「どうして、『コハダ』の漢字を『さんま』にしちゃったの?」

「漢字っていうのは、まさに『漢』の『字』で、中国の文字だっていうこと知っているだろ?でもな、中国には、『さんま』を表す漢字がなかったんだよ」

「え?中国には、『さんま』はいないの?」

「いなくはないんだろうが、『さんま』を食べる習慣がないようなんだ」


と、『少年』の父親が、『少年』に説明したのは、1967年である。後に、中国や台湾でも『さんま』が食べられるようになり、そのせいで、日本の『さんま』漁獲高が減ったとも云われるようになるとは、その時、思いもしなかった。


「へええ、勿体無い話だね。『さんま』って美味しいのにね。でもお…」


と、『少年』は、『ペコちゃん』のように舌を口の横に出しながらも、首を傾げた。



(続く)






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