2022年5月18日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その232]

 


「『Mr.サマータイム』の『サマータイム』は、父が云ったように、『夏時刻』というか『夏時間』の『サマータイム』ではなかったけれど」


と、2021年、少年ではなくなっていた『少年』が、そう思った時、あの日(1967年に、山口県宇部市から広島市に引っ越して来た日)、『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、自宅へと向っている自分と父親、そして母親と妹の姿を思い出した。


「そうなんだ。『Mr.サマータイム』の『競合』は、まさに『時間』をテーマとしていたのだ!」


という少年ではなくなっていた『少年』の心の中の叫びは、体は老いても心には老いない部分があることを示していた。


あの日(1967年に、山口県宇部市から広島市に引っ越して来た日)、八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来や、『さんま』は一文字の漢字では、魚偏に『祭』と書くこと等、『さんま』の漢字談義へと派生していっていたが、『少年』は、『サンマータイム』とは何か、という疑問に立ち戻り、『サンマータイム』を定めた法律は、正式には、『夏時刻法』と、『少年』の父親は、説明した。ところが、『少年』と『少年』の父親の会話は、そこから、『サンマー』が、実は『サマー』と発音するものであることから、英語の発音談義への移って行っていたのに、父親は、映画『ローマの休日』、そして、その主演女優『オードリー・ヘップバーン』や『ローマ字』の『ヘボン式』へと、また話を派生させていっていた。それをようやく、『少年』は、『サンマータイム』へと話を戻したが、『少年』の父親は、今度は、『キャサリーン・ヘップバーン』主演の映画『旅情』の原題は、『サマータイム』だと云いながらも、アメリカでは『サマータイム』のことを『デイライト・セイビング・タイム』(Daylight Saving Time)というのだ、と説明し、更には、『旅情』の原題である『サマータイム』は、『サマータイム』のことではなく、『サマー』という名前の人とも関係はないと、『少年』を混乱の渦の中で目眩を起こす程の状態とし、その『サマータイム』は、『夏時刻』の『サマータイム』ではなく、『夏』の『時』、『日々』を過ごす、といった感じのする言葉で、感覚的というか感傷的、感情的な装いを持つもの、という説明をしていた。その説明自体、感傷的なものであったように、後年(2021年になって)、少年ではなくなっていた『少年』は、思い出し、更に、父親の説明には、ある謎、もしくは予見が込められていたようにも感じたのである。


「『時間よ止れ』かあ…」


2021年、少年ではなくなっていた『少年』は、タオルを首に巻いて、スタンドマイクを持って熱唱する歌手の姿を思い浮かべた。


『Mr.サマータイム』がカネボウ化粧品の夏のCMソングとして使われることになったその夏、資生堂の夏のCMソングは、『矢沢永吉』の『時間よ止れ』だったのである。




あの日(1967年に、山口県宇部市から広島市に引っ越して来た日)、映画『旅情』の原題である『サマータイム』について説明した父親は、その説明の締めとして、こう云った。


「もう『サマータイム』のことは分っただろう?そう、『サマータイム』は、一つは、『夏時刻』であり、時間なんて、法律で、人間の作為で、早められたり、遅くしたりできるものに過ぎないんだ。そして、もう一つ、『旅情』の原題である『サマータイム』は、『時刻』とは関係ないが、その『過ごした夏の日々』は、『キャサリン・ヘップバーン』が演じたアメリカ人女性にとっては、濃密で、ある意味では、とても長く感じられた『時』であったのではないかと思う。いや、その『時』は、実際に長いものであったのかもしれない。止ったように長い時間であったかもしれない」

「……」


『少年』の父親の言葉は、『少年』に向けてというよりも、自分に向けてのもののようであり、『少年』は、その言葉に何も返すことはできなかった。



(続く)




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