2022年5月23日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その237]

 


「じゃあ、訊こう。ビエール、ビエールは、母さんのお腹の中にいる前は、どうしていたんだ?」


と、『少年』の父親は、小学校を卒業したばかりの『少年』であっても、容赦無い質問を浴びせ重ねてきた。広島市の『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「母さんのお腹の中にいる前、ボクはいなかったよ」


『少年』は、憮然としていた。


その日(1967年に、山口県宇部市から広島市に引っ越して来た日)、八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来や、『さんま』は一文字の漢字では、魚偏に『祭』と書くこと等、『さんま』の漢字談義へと派生していっていたが、『少年』は、『サンマータイム』とは何か、という疑問に立ち戻り、『サンマータイム』を定めた法律は、正式には、『夏時刻法』と、『少年』の父親は、説明した。ところが、『少年』と『少年』の父親の会話は、そこから、『サンマー』が、実は『サマー』と発音するものであることから、英語の発音談義への移って行っていたのに、父親は、映画『ローマの休日』、そして、その主演女優『オードリー・ヘップバーン』や『ローマ字』の『ヘボン式』へと、また話を派生させていっていた。それをようやく、『少年』は、『サンマータイム』へと話を戻したが、『少年』の父親は、今度は、『キャサリーン・ヘップバーン』主演の映画『旅情』の原題は、『サマータイム』だと云いながらも、アメリカでは『サマータイム』のことを『デイライト・セイビング・タイム』(Daylight Saving Time)というのだ、と説明し、更には、『旅情』の原題である『サマータイム』は、『サマータイム』のことではなく、『サマー』という名前の人とも関係はないと、『少年』を混乱の渦の中で目眩を起こす程の状態とし、その『サマータイム』は、『夏時刻』の『サマータイム』ではなく、『夏』の『時』、『日々』を過ごす、といった感じのする言葉で、感覚的というか感傷的、感情的な装いを持つもの、という説明をしていた。その説明自体、感傷的なものであったように、後年(2021年になって)、少年ではなくなっていた『少年』は、思い出し、更に、父親の説明には、ある謎、もしくは予見が込められていたようにも感じたのである。だが、その時は(1967年)、父親が想像を超えたことを云い出だすとは、思いもせず、父親が使った大人びた言葉を使って、『濃密』な時間を過ごすと、人間は、時間を長く感じるものなんだね、と問うたところ、父親は、『時間が止る』という、まるで、テレビ・ドラマ『ふしぎな少年』の世界のようなことを云い、続けて、『ビッグバン』という、『少年』が聞いたことのない言葉を持ち出し、それは、宇宙全体で起きた爆発、といえばそうかもしれないが、それも違う、と『少年』をカオスに落とし込んでしまった。そして、それに留まらず、宇宙は『ビッグバン』ででき、『ビッグバン』の前には何もなかった、と父親は、云い出し、『少年』に『少年』が生れる前のことを問い質してきていた。


「じゃあ、訊こう。ビエール、ビエールは、どうやって母さんのお腹の中に入ったんだ?」

「えっ!?....それは、父さんと母さんが…」


『少年』は、暗がりで見えはしなかったが、頬を紅に染め、俯いた。『少年』は、子どもがどうやってできるかは、もう知っていた。


「じゃあ、訊こう。ビエール、父さんと母さんがビエールを作る前は、ビエールは、どうなっていたんだ?」

「いなかったよ…」

「だろう?それと同じなんだよ」

「ええ…」

「ビエールは、ビエールが生れる前が、世の中がどうなっていたか、覚えているか?」

「え?ボクが生れる前、世の中がどうなっていたか?そりゃ、いろんなことがあったんじゃないかと思うけど、えーっと、確か、ボクが生れる3ヶ月前、自衛隊ができたんだよね?」




「おお、よく知っているな。そうだ、自衛隊ができたのは、そう、1954年7月1日だから、ビエールが生れる丁度、3ヶ月前だな。だけど、そんな生れる前のことを覚えていたのか?」

「そんなあ。生れる前のことを覚えている、なんてことある訳ないじゃない。ボクの人間としての最初の記憶は…」


『少年』の脳裏には、あの日の像が浮かんできた。



(続く)



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