2022年5月8日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その222]

 


「『gemination( ジェマァネェィション)だ」


と、『少年』の父親は、『少年』が聞いたこともない言葉を口にした。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「へ?邪魔じゃない???」


『少年』は、自分が聞いた、いや、自分が聞いたと思った言葉の意味を測りかねた。


「『チャネル』の方が、『チャンネル』よりも邪魔じゃないの?でも、邪魔じゃない、ってどういうことなの?」

「『gemination(ジェマァネェィション)は、『子音重複』だ」

「『シイン』?『チョーフク』?」


『少年』の頭の中は、混乱の渦となった。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来や、『さんま』は一文字の漢字では、魚偏に『祭』と書くこと等、『さんま』の漢字談義へと派生していっていたが、『少年』は、『サンマータイム』とは何か、という疑問に立ち戻り、『サンマータイム』を定めた法律は、正式には、『夏時刻法』と、『少年』の父親は、説明した。ところが、『少年』と『少年』の父親の会話は、そこから、『サンマー』が、実は『サマー』と発音するものであることから、英語の発音談義への移って行っていた。


「『母音』、『子音』の『子音』だよ。その『子音』の『重複』、つまり、『子音』が重なる、ってことだ。『チャンネル』の英語の綴りでは、『n』が2つ続くんだ。こう行った場合、現代の英語では、発音上は、『子音』は重複しないようになっているんだ。だから、テレビの『チャンネル』は、本当は、『チャネル』と発音するんだよ」




「現代の英語では、っていうことは、昔は重複した『子音』を発音していたの?」

「はっきりは知らないが、『子音』を発音していた、というか、重複しない『子音』と重複した『子音』とでは、発音上、長さに違いがあったんじゃあないか、と思う。それが、時代と共に、『degemination』(ディジェマァネェィション)が進んで行ったんだろうと思う」

「え?『デジ…』?」

「『degemination』(ディジェマァネェィション)は、日本語でいうと、『非重子音化』、つまり、発音上は、子音を重複させない、ということだ」

「なんだか、とっても難しくって、よく分らないけど、日本人は、『チャンネル』なんかを昔の英語風に読んでいる、ということなの?」

「うーむ、そこはどうかなあ。結果としては、そうとも云えるかもしれないが、ローマ字読みしたんじゃないかと思う」

「『サマー』も、『n』が重なってるから、『サンマー』となったの?」

「いや、『サマー』では、重複しているのは、『n』ではなく『m』だ。ローマ字は、そう、『ヘボン式』のローマ字では、『n』の後に、『b』や『m』な『p』が来ると、『n』を『m』にするからな」

「うーん…..難しいねえ。でも、日本人は、間違った読み方をしているんだね」

「おお、そう云えば、『ヘボン』だ!」


と、『少年』の父親は、椅子に座っている状態であったら、膝をポンと打ったであろうような様子を見せた。



(続く)




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