2022年5月1日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その215]

 


「『さんま、さんま さんま苦いか塩つぱいか』だなあ」


と、『少年』の父親は、歌うように、呟くような言葉を『少年』に向けた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「え?」

「『秋刀魚の歌』だ。『佐藤春夫』の詩だ」


と、『少年』の父親は、秋刀魚を食べた時のように、少し苦い表情を浮かべ、そう云った。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来、『佐藤春夫』の詩『秋刀魚の歌』へと話は派生していっていたのである。


「ふううん、『さんま』が詩になるんだあ」

「ああ、『さんま』を独り食べながら、好きな女性とその娘と『さんま』を食べた時のことを詠った、切ない詩だ」

「『好きな女性とその娘』って、奥さんと娘?それが、切ないの?切ないって、なんだかよく分からないけど」

「ああ、『谷崎潤一郎』の奥さんと娘だけどな」

「『たにざき・じゅんいちろう』って、聞いたことあるような気はするけど」

「有名な小説家だ。『佐藤春夫』は、『谷崎潤一郎』の推薦で文壇デビューしたようなものだったんだ」

「へ?...お世話になった人の奥さん…?」

「んまあ、そこは色んなことがあったんだけど、結局は、『佐藤春夫』は、その『谷崎潤一郎』の奥さんと結婚したんだ。だが、問題は、『秋刀魚の歌』の内容ではなく、その漢字だ」


『少年』の父親は、『谷崎潤一郎』と『佐藤春夫』との間の、所謂、『細君譲渡事件』を、小学校を卒業したばかりの『少年』に説明するのを憚り、話を『秋刀魚』という漢字に戻した。




「『秋刀魚の歌』という詩の題名の『さんま』は、『秋』の『刀』の『魚』と書くんだが、『さんま』の漢字が、『秋』の『刀』の『魚』となって広まったのは、この『佐藤春夫』の『秋刀魚の歌』が切っ掛けだ、と云われているんだ」

「へええ、そうなんだ。じゃあ、それまでは、『さんま』には漢字はなかったの?」



(続く)




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