「アータ、ひょっとして!?」
50歳台半ばとなったマダム・トンミーが、少女のように、両手を頬に当て、叫んだ。マダム・トンミーは、夫が自分でいつもは浸け置き洗いをするバスローブをその日に限って、いきなり洗濯機で洗っていることに、夫に疑問をぶつけながら、何やら思い当ったようであった。
「んん、まあ!」
マダム・トンミーは、口を大きく開けたまま、夫の眼を見据えた。
「…ああ、そうだ、そうだよ!」
妻が何を想像したのかは解らなかったが、ビエール・トンミー氏は咄嗟に、知らぬ妻の想像を肯定した。そして、ビエール・トンミー氏の口は、勝手なことを、まさに口走った。
「今夜、風呂上がり久しぶりに君の部屋に行こうかと思ってね。バスローブを着て。だから、21時間もかけられないのさ」
しかし、ビエール・トンミー氏は、云い終える前に、後悔した。
「えっ!まあああ!本当に!」
マダム・トンミーは、これも少女のように、足をバタバタとさせた。ビエール・トンミー氏は、もう後には退けなくなっていた。
「ああ、そうさ。覚悟してね」
覚悟しないといけないのは、自分の方であることは判っていた。
「じゃ、私も準備しなくっちゃ!」
何を準備するのか、マダム・トンミーは、脱衣場を出て、その前にある階段を軽やかに、スキップするように登っていったが、彼女も知らなかった、『そのこと』を。
「(さしずめ1975年のNWF戦のルー・テーズね)」
マダム・トンミーは、夫が往年の、『原宿の凶器』と呼ばれた頃の夫でないことは判っていた。しかし、夫との久しぶりの『プロレス』の『一戦』に気持ちが高揚していた。夫を、老いたとはいえ、全盛期のアントニオ猪木とNWF世界選手権試合を行った時のルー・テーズに擬えた。
「(凛々しかったわ)」
その試合のルー・テーズの入場時のガウンは、白ではなく茶色だったが、そのガウンを脱ぎ、両手を猪木に差し出し、探るようにしていたが、ヘッドロックに来た猪木をすかさずバックドロップで『投げる』、というより、『落とした』ルー・テースを思い浮かべた。
「(いいわ!落としてえ!)」
しかし、マダム・トンミーは知らなかったのだ。1975年のNWF戦の時のルー・テーズは、59歳であった。しかし、今、ビエール・トンミー氏は、既に66歳になっていたのだ。
「(いいわ!私を落としてえ!)」
バスローブを脱いだ夫の姿は、それをしばらく見ていないマダム・トンミーが思うよりも老いており、それは、もう『原宿の凶器』ではなく、『昔、原宿にいた今は、小器』に過ぎないことを。
(おしまい)
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