「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、長州力が、自身の率いる『維新軍団』の新日本プロレスから全日本プロレスへの移籍は、猪木さんに『行け!』と云われたからだ、という秘話を、前田日明に明かしたことを、前田日明が、「サムライTV」の夢の対談番組 「Versus」で武藤敬司に説明するようになることを、まだ知らなかった。
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「あ……んん……」
エヴァンジェリスト氏は、1980年、上池袋の『3.75畳』の下宿で、炬燵を机に修士論文『François MAURIAC論』を書いていると、どこからか泣き声が聞こえて来た。
泣き声がして来ているのは、半間の押入れであった。
「あ……んん……」
微かだが、泣き声が聞こえるものの、押入れの中には勿論、誰もいない。
それは、極めて普通のサラリーマンの『お兄さん』が住む隣室から聞こえて来ているでもなく、隣室の隣室の50歳台と思しき『お父さん』の泣き声でもなかった。
当時、『お父さん』とまだ親しくはなかったが、『泣き声』が、『お父さん』のものでないことに確信はあった。
何故なら、
「あ……んん……」
というその泣き声は、女性のものであったからなのである。
「誰だ?」
半間の押入れに半身を入れたま、エヴァンジェリスト氏は、首を傾げた。
エヴァンジェリスト氏の住むその下宿には、女性の住人はいなかったのだ。
大家は、未亡人であったが、1階に住んでいた。
「あ……んん……」
という泣き声は、下宿としている2階のものであった。
「どこかの部屋に女性が訪れてきており、何か揉め事でもあり泣き出したのであろうか……..」
と思った時、思い出した。
その夜、エヴァンジェリスト氏は、週に一、二度は行く、近所の蕎麦屋『増田屋』で、木の葉丼にしようかと思いながら、結局は、カツ丼を食べ、そのまま、『増田屋』のすぐ横の路地を入ったところにある銭湯『堀之内浴場』に入った。
『堀之内浴場』では、『有難いモノ』を見た。
お経である。
浴室では、まず洗髪をした。頭を洗い終え、顔を上げた時、斜め前方で体を洗っている男の背中が見えた(男湯なので、男以外は、つまり女性はそこにはいなかったが)。
「おお、あの人も『曲がったことが嫌いな男』なのだなあ」
エヴァンジェリスト氏は、そう思った。
男の背中の真ん中には、江戸文字で縦に『真っ直ぐ』書かれていた(彫られていた)のである。
「南無阿弥陀仏」
男は、背中でお経を唱えていた。
「おお、有難いことだ。これは、きっと何かいいことがあるぞ」
こうして、『堀之内浴場』で身も心も清めたエヴァンジェリスト氏は、下宿に戻った。
濡れて絞ったタオルと石鹸を入れた洗面器とその上に載せたバスタオルを部屋に置くと、小用をたす為、部屋を出た。
その時、会ったのだ。
(続く)
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