「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、変態だが向学心のある友人ビエール・トンミー氏が、仕事を完全リタイアした後、『西洋美術史』という勉学に『真っ直ぐに』勤しむようになったと思ったが、実は、『西洋美術史』そのものへの関心というよりも、それを教える美人講師目当て、という疑惑が生れることを、まだ知らなかった。
-------------------------------
1980年に、当時住んでいた上池袋の下宿で、小用をたす為、部屋を出た時、下宿の一番奥の部屋に住む醜男が、女を連れ込んでくるところに出くわしたところから、エヴァンジェリスト氏は、自身のモテた歴史を思い出すこととなった。
「エヴァくん、あんた、2年生の女の子たちの憧れなんじゃと」
中学三年の時、広島市立翠町中学のPTAの会合から帰ってきたハハ・エヴァンジェリストが、息子に教えた。
広島県立広島皆実高校では、入学して間もない時に、
「君、演劇部に入らない?」
と、演劇部の部長である上級生の女子生徒からスカウトを受けた。
それは、想定外ではあったが、意外ではなかった。
エヴァンジェリスト氏は、自分に演技力があることは自覚していた。小学生の時に既に、放送劇『雪の女王』の役者に抜擢され、その演技を先生方に絶賛された経験があったのだ。
しかし、広島皆実高校演劇部の部長がそのことを知っていたとは思えない。
「君に入って欲しいんだ」
と、演劇部の部長が自分をスカウトにきた理由をエヴァンジェリスト氏は、直ぐに理解した。
それは…………
「自分で云うのも面映いが、『美貌』だ」
上池袋の共同トイレで小用をたしながら、エヴァンジェリスト氏は思い出していた。
「自分の『美貌』のせいだ。演劇部の部長は、この『美貌』を見て、私を演劇部に入れたくなったのだ」
トイレに立ち、出すものを出し、ソレを持ちながら、最後にブルッと身を震わせながら思った。
「なのに、何なのだ、あれは!」
興奮したものだから、雫を便器の外に漏らしてしまった。トイレにおいてあった落とし紙を取り(トイレットペーパーではなく、ちり紙が置いてあったのだ)、漏らした雫を拭いて、便器に入れた。
「この『美貌』を持つ自分に今、『女』がいないのに、何故、『あの男』に『女』がいるのだ!」
トレイを出て、その隣にある共同台所で手を洗い、『3.75畳』の自分の部屋に戻った。
「まあ、『女』と云ったって、あの醜男の『女』だ。ブスだろうよ」
そう、自分を納得させ、エヴァンジェリスト氏は、炬燵に脚を入れ、書きかけの修士論文『François MAURIAC論』に向った。
François MAURIAC』(フランソワ・モーリアック)の最高傑作『蝮の絡み合い』(『Le Nœud de Vipères』)の主人公である老人の孤独が、エヴァンジェリスト氏の胸を抉った………
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿