「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、変態である友人ビエール・トンミー氏に、「『曲がったことが嫌いな』君は、女性に(奥様以外の女性に)、『今日ね、抱きしめていい?縛っていい?』とストレートに云うのではないか」と後に訊くことになることを、まだ知らなかった。
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エヴァンジェリスト氏は、1980年、当時住んでいた上池袋の下宿の『3.75畳』で、開けっ放しとしている半間の押入れの上段に両肘を付き、上半身を押入れの中に入れたまま、
「あ……んん……」
という、女性が男性に『哭かされている声』を聞いていた。
「こんな安普請の下宿でけしからん!この下宿でソンナことをすると、聞こえるに決まっているではないか!」
と怒りながらも、
「あ……んん……」
という『哭き声』が聞こえたその日以降、エヴァンジェリスト氏は、その『哭き声』が耳にこびりつき、François MAURIAC』(フランソワ・モーリアック)の最高傑作『蝮の絡み合い』(『Le Nœud de Vipères』)の主人公である老人の心の闇に思いを寄せることができなくなった。
時々、
「あ……んん……」
という『哭き声』がまた聞こえてきたような気がして、その度に、開けっ放しとしている半間の押入れの上段に両肘を付き、上半身を押入れの中に入れ、体を『く』の字に『曲げたまま』、、天井に向って耳をすませるようになった。
「けしからん!」
と呟きながらも、心の底で『哭き声』を期待している自分をエヴァンジェリスト氏は知っていた。
エヴァンジェリスト氏は、『曲がったことが嫌いな男』である。
だから、自身の本心を誤魔化すことはできなかった。だから、この『哭き声』事件から学んだことがあることもエヴァンジェリスト氏は隠すことができなかった。
だから、『哭き声』事件から3年の後の1983年、エヴァンジェリスト氏は、『3.75畳』に『女』を連れ込み(いや、招き入れ)、ソレをする時、押入れの襖をキチンと締め、出来るだけ『女』に大きな『哭き声』を上げさせないよう気を付けることにしたのだ。
安普請の下宿で他の部屋に聞こえるようにソレをしてはならない、と思ったのだ。
だったら、そもそもそんな安普請の下宿に『女』を連れ込まなければいいものであるが、
「不可抗力であった」
とエヴァンジェリスト氏は思う。
「だって、高熱が出ていたのだ」
と、エヴァンジェリスト氏は、誰に対してかは分らないが、そう弁解する。
1983年のその時、確かにエヴァンジェリスト氏は、高熱を発していた。
「辛い……熱がある。高い熱だ……」
エヴァンジェリスト氏は朦朧としたまま、下宿を出て、明治通り沿いにある近くの公衆電話ボックスにいた。
「だからあ、私にどうしろ、と云うの?」
電話の向こうの女性は、イライラしていた。
「いいんだ、いいんだよ。ボクは熱があって辛い。買い物もできない」
公衆電話ボックスまで出てきているのに、若きエヴァンジェリスト氏は、平気でそう云った。
「分ったわよお!」
女性は、そう言い放つと電話を切った。
(続く)
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