2018年4月29日日曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その73]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、統合幕僚監部に所属する幹部自衛官がある国会議員に対して、「お前は国民の敵だ」と、ある意味で『真っ直ぐな』言葉を発するようになることを、まだ知らなかった。


-------------------------------


1983年、エヴァンジェリスト氏は、上池袋の『3.75畳』の下宿に高熱の看病を理由に連れ込んだ『女』を自らの布団の中に引きづり込み、

「☆!※♯£⊆%」

と哭かせていた。

「しっ!静かに!『声』が他の部屋に聞こえると迷惑をかける」
「だったら、『声』を出させなけりゃいいでしょ」
「ボクは、『曲がったことが嫌い』なんだ」
「だから、他の部屋の迷惑になるようなことは初めからしなけりゃいいのよ!」

『女』から叱責されだが、エヴァンジェリスト氏は怯まなかった。

『山』に登り始めて途中で止めるなんて『曲がったこと』はできない」
「この屁理屈男!」

しかし、女性は、それ以上、エヴァンジェリスト氏に逆らわなかった。なんだかだと云って、女性は、エヴァンジェリスト氏のことが愛おしかったのだろう。

「☆!※♯£⊆%」

『哭き声』が、他の部屋に聞こえたかどうかは、定かではない。

他の部屋の住人たちが、押入れに半身を入れ、天井に耳をすませていたかもしれないが、『山』登りに夢中なエヴァンジェリスト氏には、そこに気を使うことができなくなっていた。

「☆!※♯£⊆%」

『山』も荒々しい『登山者』を受け止めるのに、必死で、自らの『哭き声』の音量を調節する余裕はなかった……..






1980年12月、

「あ……んん……」

という『哭き声』は、もう聞こえなくなっており、エヴァンジェリスト氏は、再び、修士論文『François MAURIAC論』の執筆に集中するようになっていた。

エヴァンジェリスト氏は、修士論文『François MAURIAC論』で主に、François MAURIAC』(フランソワ・モーリアック)の最高傑作『蝮の絡み合い』(『Le Nœud de Vipères』)を論じていた。

『蝮の絡み合い』を境にフランソワ・モーリアックの小説は変わる、と捉える。

『蝮の絡み合い』をフランソワ・モーリアックがある重要な思想に到達したことを示す作品とし、その思想の何たるかを論じる為、『蝮の絡み合い』とそれ以前の作品(『愛の砂漠』[Le désert de l' amour]や『テレーズ・デスケイルー』[Thérèse Desqueyroux]等)を比較考察し、また、『蝮の絡み合い』以降の小説も考察しようとしていた。

『蝮の絡み合い』の第1章を、『罪人の消滅』と捉えていた。

『蝮の絡み合い』の主人公であるルイは、憎悪と吝嗇に蝕まれた罪の人間であるが、彼は救いへと導かれた。

しかし、『愛の砂漠』で妻以外の女(マリア・クロス)に恋する医師クーレージュは、救われるに到らない。



夫を毒殺しようとした『テレーズ・デスケイルー』も救われるに到らない。

『蝮の絡み合い』のルイと、医師クーレージュ、テレーズ・デスケイルーとの差異は、何より生じたのか?

エヴァンジェリスト氏は、それを『罪人の復権』とでも呼ぶべき思想と考える。

『罪人の復権』とでも呼ぶべき思想を、フランソワ・モーリアックは、『蝮の絡み合い』で初めて示したのだ。

では、『罪人の復権』なる思想は、一体、如何なるものであるのか……

………………….このように、修士論文『François MAURIAC論』の執筆に没頭するエヴァンジェリスト氏には、空耳にでも

「あ……んん……」

という『哭き声』は聞こえなくなっていた。


(続く)





0 件のコメント:

コメントを投稿