「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、変態だが向学心のある友人ビエール・トンミー氏が、仕事を完全リタイアした後、美人講師目当てに『西洋美術史』という勉学に勤しむようになったことは、事実だとしても、『西洋美術史』そのものへの『真っ直ぐな』関心もないとは云えないと思うようになることを、まだ知らなかった。
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エヴァンジェリスト氏が、1980年に、当時住んでいた上池袋の下宿の一番奥の部屋に住む醜男が、女を連れ込んだ。
「はあ~ん?」
合点がいかなかった。
『あの男』に『女』がいるのか?あの醜男にどうして?
中学生時代、下級生の女子生徒の憧れの的だった自分に今、『女』がいないのに、何故、あの醜男に『女』がいるのだ!
しかも、自分がモテていたのは、中学の時だけではなかった。
広島県立広島皆実高校でも、
「君、演劇部に入らない?」
と、演劇部の部長である上級生の女子生徒からスカウトを受けた。
何故か?
小学生の時に既に、放送劇『雪の女王』の役者に抜擢され、その演技を先生方に絶賛された経験があったが、広島皆実高校演劇部の部長がそのことを知っていたとは思えない。
「君に入って欲しいんだ」
と、演劇部の部長が自分をスカウトにきた理由をエヴァンジェリスト氏は、直ぐに理解した。
それは…………
「自分で云うのも面映いが、『美貌』だ。自分の『美貌』のせいだ。演劇部の部長は、この『美貌』を見て、私を演劇部に入れたくなったのだ」
しかし、エヴァンジェリスト氏の憤懣は収まらなかった。
「この『美貌』を持つ自分に今、『女』がいないのに、何故、『あの男』で『女』がいるのだ!まあ、『女』と云ったって、あの醜男の『女』だ。ブスだろうよ」
そう、自分を納得させ、エヴァンジェリスト氏は、炬燵に脚を入れ、書きかけの修士論文『François MAURIAC論』に向った。
François MAURIAC』(フランソワ・モーリアック)の最高傑作『蝮の絡み合い』(『Le Nœud de Vipères』)の主人公である老人の孤独が、エヴァンジェリスト氏の胸を抉った………
妻となる女性の涙を見て幸せな愛の涙だと思った主人公の男は、後に妻に対して、思う。
「君がこう云ったのは本当なのだ。『何でもないの。貴方の側にいるから』と」
モーリアック的レトリックである。
「君は嘘をついていた訳ではない、この嘘つきめ!確かに、君は、私の側にいたから泣いたのだ。……私の側にいて、別の男の側にいたのではなかったからなのだ」
主人公の妻には、夫と結婚する前に好きな男がいたのだ。主人公は、妻となる女性の涙を見た数ヶ月後に、そのことを妻から聞かされた。
「大したことではないの。気になさらないでね」
と。
妻に対して、『君は嘘をついていた訳ではない、この嘘つきめ!』と思う主人公は痛い。
このようなレトリックを使うモーリアックの心の闇を思うと、エヴァンジェリスト氏は堪らなかった。
堪らなかったが、それは、苦しい歓びであった。
だって、そんなモーリアックの心の闇は、若きエヴァンジェリスト氏自身の心の闇でもあったからなのだ。
エヴァンジェリスト氏は、その思いを修士論文『François MAURIAC論』として書こうとしていたのだ。
その時であったのだ。
エヴァンジェリスト氏の『3.75畳』の部屋に泣き声が聞こえてきたのは。
「あ……んん……」
(続く)
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