「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、変態だが向学心のある友人ビエール・トンミー氏が、仕事を完全リタイアした後、『西洋美術史』という勉学に勤しむようになり、更に、それを教える美人講師と巡る西洋美術史ツアーがあることを知った時、自身のソコが固く『真っ直ぐ』になることを、まだ知らなかった。
-------------------------------
エヴァンジェリスト氏は、1980年に、当時住んでいた上池袋の下宿で、小用をたす為、部屋を出た。
その時、下宿の一番奥の部屋に住む醜男が、女を連れ込んでくるところに出くわした。
「はあ~ん?」
『あの男』に『女』がいるのか?あの醜男にどうして?
エヴァンジェリスト氏は、中学生時代、下級生の女子生徒の憧れの的であり、広島県立広島皆実高校では、持ち前の美貌から、
「君、演劇部に入らない?」
と、演劇部の部長である上級生の女子生徒からスカウトを受ける程であった。
しかし、エヴァンジェリスト氏の憤懣は収まらなかった。
「この『美貌』を持つ自分に今、『女』がいないのに、何故、『あの男』に『女』がいるのだ!まあ、『女』と云ったって、あの醜男の『女』だ。ブスだろうよ」
そう、自分を納得させ、エヴァンジェリスト氏は、炬燵に脚を入れ、書きかけの修士論文『François MAURIAC論』に向った。
François MAURIAC』(フランソワ・モーリアック)の最高傑作『蝮の絡み合い』(『Le Nœud de Vipères』)の主人公である老人は、妻となる女性の涙を見て幸せな愛の涙だと思ったが、後に妻に対して、思う。
「君がこう云ったのは本当なのだ。『何でもないの。貴方の側にいるから』と」
モーリアック的レトリックである。
「君は嘘をついていた訳ではない、この嘘つきめ!確かに、君は、私の側にいたから泣いたのだ。……私の側にいて、別の男の側にいたのではなかったからなのだ」
主人公の妻には、夫と結婚する前に好きな男がいたのだ。
主人公の老人の孤独は、モーリアックの心の闇であり、若きエヴァンジェリスト氏自身の心の闇でもあった。
エヴァンジェリスト氏は、その思いを修士論文『François MAURIAC論』として書こうとしていたのだ。
その時であったのだ。
エヴァンジェリスト氏の『3.75畳』の部屋に泣き声が聞こえてきたのは。
「あ……んん……」
泣き声がしていたのは、『3.75畳』の入口側にあった半間の押入れからであった。
エヴァンジェリスト氏は、開けっ放しとしている半間の押入れの上段に両肘を付き、上半身を押入れの中に入れた。
「あ……んん……」
微かだが、泣き声が聞こえる。
最初、隣の『お兄さん』の部屋から聞こているかと思ったが、
「あ……んん……」
という泣き声は、押入れの天井を通して聞こえてきていることが判った。
しかし、それは、隣の『お兄さん』の部屋の隣の部屋の『お父さん』の鳴き声でもなかった。
「あ……んん……」
という泣き声は、女性のものであったからなのだ。
「どこかの部屋に女性が訪れてきており、何か揉め事でもあり泣き出したのであろうか……..」
と思った時、思い出した。
下宿の一番奥の部屋に住む『あの男』が、『女』を部屋に連れ込むところに遭遇したことを思い出した。
そう、
「あ……んん……」
という泣き声は、『泣き声』ではなく、『哭き声』であったのだ。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿