2017年6月4日日曜日

美人講師のアトリビュート(その4=最終回)




5月1日にも、爺さんはやって来た。全学休講なのに。

キャンパスに誰もいないのに、オープンカレッジ本館まで行き、稼働停止のエレベーターに乗り、8階ボタンを押したが、ボタンは何も反応せず、エレベーターは頑と動こうとしなかった。

そこでようやく爺さんは、エレベーターが稼働停止となっていることに気付いた。しかし、まだ肝心なことには気付いていなかった。

階段を10段登ったところで、ようやく事態に気付いた爺さんは、その様子を柱に隠れ見ていた私の横を通り過ぎ、本館の出口に向った。

思わず、爺さんに声をかけようとした。

「トンミーさん、いいんですよ。今日は休講だけど、プライベート・レッスンを致しましょうか?研究室にいらっしゃいませんこと….だーれもいないので、ゆっくり補講ができますことよ」

ああああ、ダメだダメだ。何を考えているのだ!あんな爺さんにどうしてそんなことをするのだ。

私は自分の中の疼きを必死で抑えた。

私は、あんな臭い爺さんに囚われてなんかいないぞ!

そうだ、決して囚われてないない…..しかし、爺さんは私の…….

私のその思いも知らず、爺さんは、キャンパスを出口に向って行った。




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翌週は(全学休講だった日の一週間後のことだ)、当然ながら、爺さんはやって来た。

爺さんは、いつも通り、オープンカレッジの教室の真ん中最前列に座っていた。

爺さんの臭いをもろに浴びた。

「臭い!堪らなく臭い!」

その心の叫びの意味は、誰にも分らない。

『堪らなく』というのはどういう意味なのだろう。臭くて嫌で『堪らない』のか、或いは、『堪らなく』気持ちが…….

ああ、またなんてことを考えているのだ。

受講者のおじいさん、おばあさんたちがこちらを見ているではないか。ほんの少し時間だが、爺さんの臭いを味合う為、目を瞑っていた私を、具合でも悪いのでは、と心配しただろう。

駄目だ、私はプロだ。こんなことでは駄目だ。講義をしよう。いつも通り、高尚な講義をしよう。

ボッティチェリは、聖母マリアを描く際に、彼女の純潔を示す物として百合を配置した、等と講義を始めた。

その百合は、「アトリビュート」なのである。「アトリビュート」とは、その持ち主を特定する役割を果たす物なのだ、と解説した。

「アトリビュート」は、通常、「属性」と訳されるが、美術の世界では、「持物」だ。これは、「もちもの」ではなく「じぶつ」と呼ぶ。

その時だ。私が、「じぶつ」という言葉を発した時、爺さんが異様な反応を示した。

左手でノートを抑え、右手はシャープ・ペンシルで講義内容を書いていた爺さんが、両方の手を机の下におろしたのだ。そして、肩をすぼめるようにした。老人の浅黒い顔が赤く染まった。




「?」

何を興奮しているのだ、爺さんは。

講義の間中、私を凝視めて興奮していることは分っていたが、両手を下げたのは興奮が増したからだ。

まさか、爺さんは、私のことを自分の「持物」だなんて思ったのではなかろうな。だとしたら、思い上がりも甚だしい。

しかし、そう思った瞬間、私は気付いた。

そうだ、「アトリビュート」なのか…….

だけど、そんなの嫌だ!ビーナスの「アトリビュート」は、白鳥だ。決して、醜いヒキガエルではないのだ。

爺さんは興奮し、老人臭と汗とが入り混じった独特の臭いは、その臭さをまして、私に浴びせかかって来た。

「お前は、この臭いを敢えて、いつも持ち帰っているではないか。この臭いを記憶に留め、帰宅すると、倒れ込むようにソファに座り、それから.......」

心の中の声はそう云ったが、違う、違う!

「はっ!」

教室がざわついている。

私は目を瞑って、沈黙していたようだ。何秒間であったのだろう?いや、何分も目を閉じ、黙っていたのであろうか?

バッカスの「アトリビュート」は、葡萄や薔薇で、ゼウスの「アトリビュート」は、鷹や雷だ、と必死に言葉を発した。

「アトリビュート」の例を思い出せずにいて、目を瞑り、黙っていた、と受講者たちは思ってくれたであろうか。

額に出て来た汗をぬぐった。

汗をぬぐった手をおろす時、手が花の前を通った。

強烈な爺さんの臭いが、鼻を襲った。汗に爺さんの臭いが染み付いていたのだ。

ふらついた…….

「自分は誤魔化せないぞ!」

心の中の声が頭の中に響いた。

「そうだ、お前は分っているのだ。あの爺さんは、お前の『アトリビュート』なのだ、と」

違う、違う!

「お前のいるところに、あの爺さんはいるのだ。あの爺さんがいるということは、そこにお前もいることを示しているのだ」

断じて違う!

「お前が、爺さんの『アトリビュート』なのではなく、爺さんがお前の『アトリビュート』なのだ!」

そんなはずがない!違うんだあ!

「爺さんは、お前の『じぶつ』なのだ。お前は、オープンカレッジの後に限らず、爺さんを、爺さんの臭いを家に持ち帰るのだ。爺さんは、お前の『アトリビュート』だ。お前は、爺さんを自分から離すことはもうできないのだ」

違う、違うってばあああ!

………その日、オープンカレッジの講義をどう終えたのか、私には記憶がない。


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無意識の内に、脚を掻く。

またまたまた、蚊に刺されたらしい。

正しくは、寝ていて意識がないので、蚊に噛まれたかどうかは分らず、ただボリボリと脚を何箇所も掻いていた。

その内にようやく、ビエール・トンミー氏は、

「ちっ、蚊かあ。くそっ、痒い」

と意識が戻ってくる。

「折角、夢を見ていたのに」

『折角』という表現が妥当とは限らない夢であったが、その表現をつい使ってしまう夢ではあった。

今度は、内容を思い出せた。

快感のある夢であった。

「ちくしょう、痒い!」

しかし、刺された箇所の痒みは直ぐには止まらなかったが、思い出した夢の快感の余韻がやがて痒みを忘れさせた。

そうだ。オープンカレッジで『アトリビュート』を学んだのだ。

美人講師が、『アトリビュート』は「持物」で「じぶつ」と読む、と解説した。

その時、俺は『反応』し、股間を押さえた。

「自分」の『ブツ』?」

ここで一気に変態老人の俺は、目が覚醒し、興奮した。おお、『珍宝』のことだ!、と。

美人講師はまた、『アトリビュート』は『シンボル』ともいう、と解説した。

『シンボル』、ああ、男の『シンボル』!やっぱり珍宝のことだ!

俺は、その興奮を持ち帰り、夢を見たのだ。

夢はやはり夢だ。夢の中では、俺が美人講師の『アトリビュート』になっていた。

なんという快感!快感の極致であった。

「はっ!」

俺は心配になって、パンツの中を見た。

その時、

「アータ、起きてえ。そろそろお昼にするわよ」

妻の声がした。

「何時だ?......もう12時か」

妻の声に目覚めたビエール・トンミー氏は、余りの快感と、快感から来る心配とで、まだベッドから立ち上がることができないままでいた。

「アータ、アータの好きな長くて太いウインナーもあるわよ」

妻は可愛い。妻は恥じらいから、そう云ったのだ。

長くて太いウインナーが好きなのは、ビエール・トンミー氏ではなく妻の方なのだ。

長くて太いウインナーは、妻の『アトリビュート』なのである。

パンツの中を見て安堵したビエール・トンミー氏は、ようやくベッドから立ち上がり、ダイニング・ルームに向かった。

「俺も歳だから、幾ら快感の夢を見たからといってもな。ふふ」


(おしまい)







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