「私は亀を卒業して今は鶴の心境である」
ビエール・トンミー氏が呟いた。
意味不明である。
俗に、「鶴は千年、亀は万年」と云う。亀を「卒業」した頃には、「鶴」の命はもう果てているはずではないか。
何日か前のことである。
「今の君のソレは、コブラでもマムシでもなく、鈍重な『亀』であるかもしれんな。君は、『頭』だけはいきり勃つものの、体は鈍重な『亀』であるかもしれんな」
と云うエヴァンジェリスト氏の発言に、ビエール・トンミー氏は猛烈に反発していたのであった。
「嫌だ!嫌だ、嫌だ!ワシはもう一度、『野獣』になるのだ!ワシは『亀』ではない!『亀』になりたくはない。今一度、コブラ、マムシとなり、『野獣会』を結成するのだ。そうして、●●●子先生に云ってもらいたい。『You are beast!』と」
昨日はまた、『Alternative 8020運動』に身を投じたことを呟いていた。
「ふふ。誰も知るまい。あの特派員も勘違いしたはずだ…ワシが身を投じた『8020運動』は、『80歳になっても20本の歯を残そう』という『8020運動』ではなく、実は……『80歳になっても20歳の娘とイイコトしよう』という『運動』であったのだ。ふふふ」
『亀を卒業して鶴』となったことの意味は不明である。
『亀』がどうやらアレを象徴していることから、『変態』を卒業してなにやら『ピュア』な存在にでもなったことを象徴しているとも捉えられる。
しかし、●●●子先生に『You are beast!』と云ってもらうことを望み、『80歳になっても20歳の娘とイイコトしよう』という運動に身を投じるエロ老人なのだ、ビエール・トンミー氏は。
そんな『昇華』していくような清い人物ではない。
そこで、ビエール・トンミー氏に訊いてみた。
「どういうことなのですか?『亀を卒業して今は鶴の心境』とは」
「鶴はトライでめがかさ」
「は?」
ビエール・トンミー氏の返答は、意味不明以前に、なんと云っているのか、聞き取り不能であった。
もう一度、訊いた。
「どういうことなのですか?『亀を卒業して今は鶴の心境』とは」
「おはいあい」
「は?『鶴は千年、亀は万年』と云います。亀を『卒業』した頃には、『鶴』の命はもう果てているはずではありませんか」
「おはいあい」
それ以上、ビエール・トンミー氏とは会話にならなかった。
『おはいあい』とは、何を意味す言葉なのであろうか?それは、ひょっとして、『アモンダワ』の人々の言葉なのであろうか?
時間というものの概念を持たぬとも云われる『アモンダワ』の人々の言葉なのであろうか?
エロいことしか頭にないような老人のふりをしているが、ビエール・トンミー氏は只者ではない。
ビエール・トンミー氏は、我々に問うているのかもしれない。
「時間って何なのだ」と。
ビエール・トンミー氏は、夜な夜な、『蠢いている』。
毎夜、明け方まで、エロ画像・エロ動画を見続け、ドライアイになってしまった、ただの『変態老人』であるように見せかけているし、実際、これまで見てきたエロ画像・エロ動画の数は億を超えるであろう。
しかし、ビエール・トンミー氏は、エロ画像・エロ動画を見ながら、脳のある部分は哲学をしているのだ。エロ画像・エロ動画は、その哲学的発想を喚起させる為のツールであるのかもしれないのだ。
ビエール・トンミー氏は、エロ画像・エロ動画を見る一方で、『アモンダワ』の研究もしているのかもしれない。
「私は亀を卒業して今は鶴の心境である」
と呟くことで、我々に
「時間って何なのだ」
と、問うているのかもしれないのだ。
しかし、『時間って何なのだ』と、直接的な表現をすることは、しないのだ。
ビエール・トンミー氏は、『I love you!』と直接的表現で唄うような歌手を、そんな歌を好きではない。それは恥ずかしいことなのだ。
『I love you!』を『I love you!』と云わず表現することが、『歌』であり、『文学』であるのだ。
ビエール・トンミー氏は、そう思っている。
恥というものを知るビエール・トンミー氏は、だから云うのであろう。
「おはいあい」
と。
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